幻の法執行機関「琉球海上保安庁」とは 本土復帰前の沖縄で存続わずか8か月

日本復帰前の沖縄は本土とは異なる体制であり、それは公安組織も同様でした。そうしたなか、復帰直前のわずかな期間に存在した法執行機関が、琉球海上保安庁です。本土復帰までの8か月間だけ存在した幻の組織は、なにをしていたのでしょうか。

第十一管区海上保安本部の発足とともに消滅

 また、琉球政府は離島における急患輸送業務を実施するため、同年2月に厚生局(当時)の管轄下に石垣医療航空事務所を開設し、翌3月には「ヒューズ型ヘリコプター」の名称でヒューズ500を2機配備しましたが、この支援にも海上保安庁職員2名が技術援助という形で現地へ派遣されています。なお、この石垣医療航空事務所がのちに海上保安庁石垣航空基地となっています。

 このように、沖縄の周辺海域における海上保安業務を一手に担うための組織として琉球海上保安庁は活動するとともに、新たに第十一管区海上保安本部を立ち上げるための施設や用地の確保、物品調達などにも尽力したのです。

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復帰直前の1972年3月16日、石垣医療航空事務所で行われた巡回新札ヘリコプターの就航記念式典(画像:沖縄県公文書館)。

 他方で、東京にある海上保安庁の本庁内にも1972(昭和47)年2月1日付で第十一管区海上保安本部設置準備室が設置。こうして沖縄の本土復帰を迎えるための諸準備が整ったことで、復帰当日を迎えました。

 1972(昭和47)年5月15日午前零時、沖縄は本土に復帰、新生沖縄県が誕生します。那覇港では汽笛が鳴り響くなか、停泊中の救難艇などでは琉球船舶旗が降ろされ、新たに日本国旗と海上保安庁旗が掲げられました。

 また同日の朝8時30分には、本部を始めとして各事務所においても日本国旗と海上保安庁旗が掲揚され、第十一管区海上保安本部が誕生します。こうして1971(昭和46)年9月に誕生した琉球海上保安庁は、わずか8か月間で姿を消したのです。

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