消えた琉球警察の“アメ車パトカー”を追う アメリカ統治下じゃ救急車もアメ車!?

50年前から漢字と英語を併記

 このように、当時の沖縄ではアメリカ製の公用車が数多く用いられており、パトカーや救急車などの外観もまた独特でした。

 たとえばパトカーは、日本本土では、すでに1955(昭和30)年にはボディの下半分が黒、上半分が白というツートン塗装で全国的に統一され、パトカーとして共通化が図られていたのに対し、琉球警察のものは、アメリカ本土のパトカーに見られるような、黒主体でルーフ部分のみ白というパターンが多く用いられていたようです。

 加えて、サイドミラーについては早い段階でドア取り付けタイプが普及していたほか、車種によってはボンネット上部やピラー部分にサーチライト(探照灯)が設置されたものまで。赤色灯やスピーカー形状など含め、それらはアメリカ本土のパトカーがそのまま使えたからこその特徴といえるのかもしれません。

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琉球警察の救急車(画像:沖縄県公文書館)。

 なお、車体側面の所属表記は英語と日本語(漢字)の併記で、乗務する警察官の服装も日本警察に近いものであったことから、一種独特の雰囲気を醸し出しています。

 ちなみに、白バイは比較的早い段階から日本製が多用されていたようで、1962(昭和37)年4月の交通安全週間パレードの写真などではアメリカ製パトカーと日本製白バイが一緒に走る姿を見ることができます。

 琉球警察は、1972(昭和47)年5月15日の本土復帰に伴う新生沖縄県の発足により、新たに組織された沖縄県警察に改組され、消滅しています。そして1978(昭和53)年7月30日、右側通行から左側通行へ交通方法変更により、左ハンドル車の必要性もなくなったことで、ほぼアメリカ製パトカーは姿を消しました。

 いまや沖縄県内をアメリカ製パトカーが走り回っていたことは、ほとんど知られていませんが、振り返ってみると、ある意味アメリカ統治の象徴でもあったと言えるのかもしれません。

【了】

※一部修正しました(2022年5月21日9時30分)

【渋い!】琉球警察が使用していたアメパトほか写真 白バイは?

Writer: 柘植優介(乗りものライター)

子供のころから乗り物全般が好きで、車やバイクはもちろんのこと、鉄道や船、飛行機、はたまたロケットにいたるまですべてを愛す。とうぜんミリタリーも大好き。一時は自転車やランニングシューズにもはまっていた。

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コメント

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2件のコメント

  1. 救急車のキャプションにアメリカ製とありますが、恐らく日本車ではないかと。のちに日産に統合されるプリンス自動車のスカイウェイのように見えます。

    • ご指摘ありがとうございます。
      確認し、修正いたしました。