都営三田線なぜ「西高島平で終点」なのか 都県境あと500m その先にあった2方向の鉄道計画

これからも永遠の穴場? 幻の延長区間の今をバスでたどる

 東武の高島平線が計画されていた区間は、これと並行するように「笹目通り」が整備されています。この道路は環八通り(環状8号線)につながる外周道路の一端とあって、自動車・トラックが駆け抜け、歩道でその風圧を感じるほどです。

 この周辺を走るバスは東武バス・増07系統(宮本循環線)などがあり、多くは成増駅を発着しています。バスが通る都県境付近の住宅街は古道や坂道、カギ状のカーブが極めて多く、開発はあまり進んでいないことがわかります。なお鉄道未成線の名残はほぼありません。

 また三田線の延伸先として浮上していた戸田市南部からは、同じく国際興業バス・増14系統(下笹目~成増駅)が運行されています。しかし乗務員不足によって2020年10月に大幅減便が行われ、朝晩のみの運行に。和光市側・戸田市側とも、高島平エリアへの流動はもうそこまで大きくないようです。

 高島平団地も入居開始から半世紀が経過し、地域の高齢化が避けられないようになってきました。スーパーが集積している高島平駅エリアへの移動が困難な人も多く、すでに「とくし丸」などの小型巡回スーパーが存在感を増しています。また団地そのものもバリアフリーに対応した建て替えが進み、将来的には短距離移動が目的の小型モビリティ導入を検討するなど、高齢化社会に向けて対策が進められています。

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下笹目から荒川を渡るバスは大幅に減便された(宮武和多哉撮影)。

 このほか、周辺には鉄道・バスから遠い地域も依然として残り、西高島平駅から徒歩で15分かかる板橋区立美術館などは、2019年のリニューアル以前、「遠くてゴメン」「永遠の穴場」といったキャッチフレーズの垂れ幕を掲げ、むしろ立地を逆手にとっている感すらありました。

 とはいえ、前出の通り周辺から自転車で西高島平駅まで移動する人はかなり多く見られます。そのメリットは、やはり「着席で通勤できる」ことでしょう。これからも終着駅であろう西高島平駅周辺エリアは、「永遠の穴場」として、今後もコンスタントに注目を集め続けるのではないでしょうか。

【了】

【壮大!】東武~三田線~東急の「直通運転構想」地図で見る

Writer: 宮武和多哉(旅行・乗り物ライター)

香川県出身。鉄道・バス・駅弁など観察対象は多岐にわたり、レンタサイクルなどの二次交通や徒歩で街をまわって交通事情を探る。路線バスで日本縦断経験あり、通算1600系統に乗車、駅弁は2000食強を実食。ご当地料理を家庭に取り入れる「再現料理人」としてテレビ番組で国民的アイドルに料理を提供したことも。著書「全国“オンリーワン”路線バスの旅」など。

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コメント

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8件のコメント

  1. 未成線の話は聞いたことありましたが、笹目通りに並行して走る計画だったのは驚きました。
    高島平線が成立していれば、和光市新倉の区画整理ももっと早く進んでいたかもしれないですね。
    ところで「東武の成増駅。和光市の笹目通り方面への宮本循環線が発着( 宮武和多哉撮影)。」のキャプションが付いた画像は成増駅ではないです。

    • ご指摘ありがとうございます。修正しました。

  2. 都営三田線の西への直通先をJR埼京線との相互直通運転に見直したほうがいいよ!

  3. 都営三田線・西高島平~武蔵浦和間の延伸工事の認可は、政府/国土交通省及び東京都/埼玉県からの認可が必要です。

  4. 有楽町線と東武東上線との直通運転が始まった1987年は昭和62年(皇紀2647年)では?
    あと東急の田園都市線の直通先についてですが、銀座線への直通の時点では田園都市線の都内区間は新玉川線として二子玉川(園)どまりとなっていました。銀座線が標準軌第三軌条集電なので大井町線の延長として建設された田園都市線の他狭軌架線集電の東急各線に直通できないためで、新玉川線もこの時点では標準軌第三軌条集電で建設する計画でした。

  5. もし、三田線が東上線に直通していたら、海老名行きが2通りになっていて、「三田経由」又は「渋谷経由」になっていたよ。

  6. 誤記があります.
    章『東急もNO! 住民大激怒! 結果としての今』
    https://trafficnews.jp/post/119902/3
    において,以下が誤りです.ご確認ください:
    × 1987(昭和58)年
    ○ 1987(昭和62)年

  7. 和光市駅から西高島平駅までランニングをしました。その時ふと思ったのが東武が東急新横浜線に乗り入れるのは、東武高島平線のことが少なからずあるんじゃないか?と思いたいです。
     高島平線が中止になった理由は諸説ありますが、都営三田線の当初の計画案でも東急との乗り入れが明記されていたので、東急側の乗り入れ先こそ違うものの、東武としては港北エリアや横浜市近郊まで乗り入れたいとの気持ちがあったのではないでしょうか。