JALはなぜ“ボーイング一強”になったのか 近年の「脱・ボーイング」は半世紀前の再現?
JALは、これまでボーイング社のモデルを“一強”と呼べるほど重用してきましたが、それが近年変わりつつあります。ここまで同社の使用メーカーの選定はどのような推移をたどってきたのでしょうか。
当初は「ダグラス一強」だった
JALは、これまでの機材選定の歴史の中で、米・ボーイング社のモデルを“一強”と呼べるほど重用してきました。しかし2019年、新造機としては初めて欧州エアバス社から「A350」を導入。これに続くようにロイター通信などが2022年6月、JALが将来的にエアバス社の「A321」、「A220」といった単通路モデルの導入を検討するといった内容を報じました。
後者はあくまで検討段階でしょうが、JALが着実にボーイング一強から脱しつつあるのは確かです。これは、どのような理由があるのでしょうか。
いまでこそ「JAL=ボーイング機」のイメージですが、実のところ、かつての同社は、ボーイング社以外のモデルを好んで導入する航空会社でした。
同社は第二次世界大戦後の会社創設時から、アメリカのエアライン、特にパン・アメリカン航空、ノース・ウェスト航空などからの支援を受けており、当然、導入機材についても、これらの会社が使用していたものと同じモデルを優先的に選ぶことになります。当時、アメリカのメーカーで民間機を提供していたのは、ボーイング社以外に、ダグラス社、ロッキード社など。前述のエアラインもそれらのメーカーの飛行機を使用していました。
そのなかで、草創期から1960年代後半にボーイング727を導入するまでのJALでは、ダグラス社(後にマクダネル・ダグラス社となり、現在はボーイング社の一部に)の旅客機を積極的に選んでいたのです。
この一つ目の要因としては、ダグラス社が、第二次世界大戦前から日本の航空界にうまく溶け込んでいたことが考えられるかもしれません。
たとえば「世界で最も多く製造された輸送機」として知られる、ダグラス社の傑作レシプロ機「DC-3/C-47」は戦前日本のエアラインが使用していただけでなく、日本国内でDC-3の製造権をダグラス社と契約し、実際に製造まで行っていました。その後、日本では、ほぼDC-3設計そのままにした「零式輸送機」というモデルまで開発されています。
戦後の日本のエアラインが、新たに航空機メーカーを選定する際に、それまでの使用実績や馴染みがあるメーカーのモデルを採用することは、ごく自然なことといえるでしょう。ただ、JALがダグラス社を優先的に導入した理由は、それだけではなさそうです。
で!
何が言いたいのか意味不明。
取材したのか?