乗り気じゃなかった? 日本艦隊ヨーロッパ派遣の残響 マルタ島の慰霊碑が物語る世界の評価
イギリスからの再三にわたる派兵要請
第1次世界大戦が勃発すると、イギリスは日本に旧陸軍のヨーロッパ派兵と金剛型戦艦の貸し出しを求めてきました。それに対し、日本は遠方のヨーロッパに軍隊を送るのは無茶だとして断ります。
「金剛」は日本がイギリスに発注した当時最新鋭の巡洋戦艦でした。残りの金剛型は日本で建造されましたが、2番艦の「比叡」は開戦直前に竣工したばかりで、3番艦「榛名」と4番艦「霧島」は艤装中でした。虎の子の巡洋戦艦を貸し出すというのも無理な話で、旧海軍も同じくイギリスの要請を断りました。
そこで、ヨーロッパ戦線で手一杯のイギリスは、中国にあるドイツの軍事拠点、青島要塞の攻略について日本に協力を要請します。当時、ドイツは青島に租借地を持っており、街を要塞化するとともに極東艦隊を配備していました。ここを攻略できれば日本にとっても様々な点でメリットが大きいため、こちらについては参戦が決まります。こうして日本はイギリス軍と共に青島攻略に乗り出したのです。
ただ、ドイツ極東艦隊の主力は日本が参戦して間もなく、青島を脱出して帰国の途につきました。しかし、その途中、南米のアルゼンチン沖でイギリス艦隊と交戦。「フォークランド沖海戦」と呼ばれるこの戦いで壊滅しています。
中国に残ったドイツ極東艦隊の一部は、インド洋から東南アジアにかけての広い範囲で連合国の商船を攻撃していたことから、日英の艦隊(日本は第一特務艦隊)がそれを追撃しました。さらに日本はドイツの植民地だったマリアナ諸島やパラオなどの南洋諸島を占領します。これが第1次大戦後に国際連盟の委任統治として、日本の治政下に置かれるきっかけになりました。
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