線路ないのに踏切警報機、なぜ? 付近にはほかにも朽ちた鉄道設備が
なぜ線路は残されている?
そもそも紀州鉄道の一部の鉄道設備が残された理由は、日高川駅の南側にある日高港の存在でした。日高港には整備計画があり、この計画が進めば、港への貨物輸送の需要が見込まれます。そのため、貨物線として再活用できるよう、設備は完全には撤去されませんでした。
しかし廃線から30年以上、計画は進まず、線路跡も貨物線としての復活は果たしていません。残された鉄道設備は、歳月とともに朽ち果てていくばかりです。そのため、この鉄道敷地一帯を鉄道公園として生まれ変わらせる計画もあるようです。
昨今、開かずの踏切を解消するために線路と道路の立体交差事業が各地で進められ、それに伴って踏切数は減少を続けています。それ以上に、多くの踏切が一斉になくなるタイミングが廃線です。まとまった区間でいえば、北海道新幹線の札幌延伸に伴い、JR函館本線の一部が廃止されることが決まっています。
ただ、廃止後ただちに一切の線路設備が撤去されるわけではありません。なかには用途が決まらず、長い間放置されるケースもあります。紀州鉄道の場合、その状態で30年以上ということです。
【了】
Writer: 小川裕夫(フリーランスライター・カメラマン)
フリーランスライター・カメラマン。1977年、静岡市生まれ。行政誌編集者を経てフリーに。官邸で実施される首相会見には、唯一のフリーランスカメラマンとしても参加。著書『踏切天国』(秀和システム)、『渋沢栄一と鉄道』(天夢人)、『東京王』(ぶんか社)、『私鉄特急の謎』(イースト新書Q)など。
内容が薄すぎる。
これで金もらってるのか?