梅田を目指した“近鉄” 幻の「大軌四條畷線」なぜ頓挫したのか 今も残る「ダイキ橋」
接続地点を考えていなかった?四條畷線の着工
しかし、この路線にはいくつも難問が立ちはだかっていました。着工したのは途中区間のみで、両端がなかなか定まらなかったのです。
まず奈良線との分岐が予定されていた孔舎衛坂駅は生駒山麓の険しい山の中にあります。ここに分岐を作って山麓を降りるという技術的な難しさもあり、のちに分岐点は平地に近い額田駅に変更されたものの、奈良線からの分岐は最後まで着手されませんでした。
大阪側のターミナルの計画も二転三転しました。もともとは天満橋筋4丁目(現在の大阪ビジネスパーク近辺)に終着駅を構え、大阪市電が計画していた梅田空芯町線への接続で梅田への乗り換えを誘導する予定でしたが、肝心の大阪市電側の開業見通しが暗礁に乗り上げてしまいます。
大軌は一転して、京阪電鉄の計画線「梅田線」(京阪本線の蒲生駅~現在の阪急百貨店梅田店付近)への乗り入れに方針を転換し、京阪側からの協力も取り付けます。着手済みの区間の終端から蒲生への接続距離もわずかで、今度こそ実現可能かと思われましたが、京阪梅田線の計画に大阪市からの横槍が入ったことや、新京阪線(現・阪急京都線)の不振による経営悪化で、京阪梅田線の計画そのものが中断となります。諦めきれない大軌側は、完成していた区間を京阪本線に接続した上での乗り入れを提案したものの、線路に容量がないことからあっさり断られ、万策尽きてしまいます。
9kmにわたる四條畷線の建設済み区間は、着工そのものが場当たりだった印象は拭えません。とはいえ、大軌が四條畷線の建設を急ぐきっかけになった東大阪電気鉄道の計画もまた、「登山鉄道に近い急勾配をトンネルも建設せず高速鉄道で通す」レベルのずさんなもので、程なくして、現代の貨幣価値なら億単位に相当する鉄道大臣への賄賂が判明(いわゆる「五私鉄疑獄事件」)。関係者が軒並み逮捕されたこともあり、着工すら叶いませんでした。自滅する対抗勢力のために、大軌が建設を急ぐ必要はなかったとも言えます。
廃線跡や未成線が好きな者のです。興味深く読ませていただきました。
画像集の、「孔雀衛駅坂跡」は、「孔舎衛坂駅跡」の間違いのような気がします。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%94%E8%88%8E%E8%A1%9B%E5%9D%82%E9%A7%85
ご指摘ありがとうございます。修正いたしました。