【空から撮った鉄道】震災5年後のJR常磐線 空から見た津波の爪痕 桜の名所駅は自然に還ろうとしていた

福島第一原発の事故を含む東日本大震災は、JR常磐線にも多大なる影響を及ぼし、長らく帰還困難区域を含む区間が不通でした。震災から5年が経過した2016年当時の状況を、空から振り返ります。

この記事の目次

・地元の方が口にした「常磐線は内陸へ移設するみたい」
・鉄道史にも残る大災害 記録しておかねば…
・輝きを失ったレール 駅前に放置されたマイクロバス
・あの福島第一原発が見えてきた
・津波を被った富岡駅 ひん曲がったレールに衝撃を受け

【画像枚数】全22点

地元の方が口にした「常磐線は内陸へ移設するみたい」

 JR常磐線の沿線、福島県浜通りは東日本大震災による津波被害だけでなく、一部沿線が福島第一原発事故によって帰還困難区域となり、復旧すらままならない状況が続きました。それでも震災発生から5年が経過した2016(平成28)年には、南側は竜田駅までが、北側は原ノ町駅までが部分復旧し、依然不通だった竜田~原ノ町間はバスによる連絡が行われていました。

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左の突堤は富岡漁港。右のさらに大きな突堤は福島第二原発。沿岸に、原子炉建屋が並んでいる。富岡駅周辺は津波被害が酷かった場所だ(2016年5月6日、吉永陽一撮影)。

 2016年、私は縁あって福島県を題材にした作品制作のプロジェクトを行っており、その一環で空撮も考えていました。この当時、原発事故によって常磐線は同じ場所での復旧はできないのではないかといわれ、いわき市内の居酒屋で帰還困難区域から避難してきた方々が口々に「常磐線はもっと内陸側の方に移設するみたい」と仰っていたのを記憶しています。

 結果的に富岡~原ノ町間の線路は移設されることなく、2020年3月に全線復旧となりました。その影では多くの方々が除染作業や復旧作業に携わりました。私の鉄道趣味仲間の知人も復旧作業に関わり、現在も周辺の除染作業などを行っています。遠くにいると分かりづらいのですが、まだまだ震災の爪痕が残り、決して復旧作業は終わっていません。

鉄道史にも残る大災害 記録しておかねば…

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Writer: 吉永陽一(写真作家)

1977年、東京都生まれ。大阪芸術大学写真学科卒業後、建築模型製作会社スタッフを経て空撮会社へ。フリーランスとして空撮のキャリアを積む。10数年前から長年の憧れであった鉄道空撮に取り組み、2011年の初個展「空鉄(そらてつ)」を皮切りに、個展や書籍などで数々の空撮鉄道写真を発表。「空鉄」で注目を集め、鉄道空撮はライフワークとしている。空撮はもとより旅や鉄道などの紀行取材も行い、陸空で活躍。

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