北海道の果てにある「いきなり掩体壕」「地面に刺さったプロペラ」…なぜ? 物語る“戦時の緊張”

北海道の東部の町、別海町は、ふたつの戦争に関する遺構があります。ひとつは掩体壕、もうひとつは道路沿いに刺さるように置かれたプロペラの羽根です。なぜここにあるのでしょうか。

WW2の時代に作られた多くの「掩体壕」

 ウクライナ侵攻をきっかけに、ロシアの脅威に対する我が国の関心は高く続いていますが、第2次世界大戦、そしてその後に続く東西冷戦の時代も、日本は「北の脅威」を受け続けました。北海道東部の海沿いの町、別海町は、それらの時代の緊張を今に伝える遺構がひっそりと、しかし確かに残っています。

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別海町に残るドーム型をした掩体壕(相良静造撮影)。

 ひとつは、戦闘機を爆撃や機銃掃射から守った、「掩体壕(えんたいごう)」と呼ばれるシェルターです。牧草地が広がる別海町と中標津町との境近くにある、盛り土のようなものがそれです。

 この掩体壕は、第2次世界大戦時に旧陸軍が造りました。当時、日本にとって北からの脅威は米軍であり、対ソ連戦も意識していました。そのため、現在別海町がある地域には、簡易型も合わせて5か所の飛行場が旧陸軍によって造られ、1943年~1945年頃に掩体壕も整備されました。

 現在では、飛行場跡のひとつに天井のある掩体壕が3つと、天井のないもの4つが残っているのが確認されているということです。

【写真】近づいてわかる掩体壕&プロペラのリアル感…別海町の「遺構」に肉薄

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