北海道の果てにある「いきなり掩体壕」「地面に刺さったプロペラ」…なぜ? 物語る“戦時の緊張”
道路脇に刺さるように置かれた「プロペラの羽根」のナゾ
もうひとつ別海町に残る遺構は、冷戦時代の1954年11月7日に旧ソ連軍機に撃墜された米軍の偵察機RB-29のプロペラの羽根です。現在は、道路沿いにまるで何かのオブジェのように立っています。
当時、米ソは互いに、相手の軍施設を撮影したり無線通信を傍受したりするため、盛んに偵察機を飛ばしていました。爆撃機B-29を改造したRB-29もそのうちのひとつです。
横田基地を発ち、根室沖でソ連軍に撃ち落されたこのRB-29は、乗員12人が脱出後、無人のまま当時の別海村内に墜ちて農家を全損させました。幸い農家や周辺でけが人や死者は出ませんでしたが、村は大きな緊張に包まれました。
残された当時の村長の手記を読むと、歩哨に立った米兵が銃を向けてきてカメラのフィルムを要求し、その後の米軍との交渉では、墜落の原因は撃ってきたソ連にあると、補償を拒まれたそうです。結局は見舞金を出すことで落ち着いたのですが、住民への補償にも冷戦が影を落としていたことが分かります。
米軍は冷戦時代、世界中の偵察飛行において、撃墜された機体の搭乗員は合わせて200人以上と言われています。こうした緊張に対して、航空自衛隊の発足前だった日本も1953年1月、ソ連機が根室を中心とした地域へしきりに領空侵犯するとして、「駐留米軍の協力を得て排除」と、強い調子で声明を発表しソ連へ警告しています。
プロペラの羽根は2014年4月に、1号有蓋掩体壕と呼ばれるものは2021年11月にそれぞれ別海町の歴史文化遺産に登録され、時代を語る証人として残されています。北の静かな町に残るこれらの由来を知ることで、過ぎた時代の緊張への想像が一層確かに浮かびます。
【了】
Writer: 相良静造(航空ジャーナリスト)
さがら せいぞう。航空月刊誌を中心に、軍民を問わず航空関係の執筆を続ける。著書に、航空自衛隊の戦闘機選定の歴史を追った「F-Xの真実」(秀和システム)がある。
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