撃墜パイロットはどう救出された? 日本に墜ちた米兵士を助けに行った低速機 砲弾の嵐の中
第2次大戦中にアメリカ海軍へ配備されていたOS2U水上観測機は、海面に離着水可能なため、不時着した味方パイロットの救出に多用されました。そういったなか、瀬戸内海などで行った危険極まりないレスキュー任務を見てみます。
戦闘報告書に明記されている低速機「キングフィッシャー」の奮闘ぶり
太平洋戦争時、戦艦や巡洋艦などは弾着観測や周辺索敵などに用いるため、観測機や偵察機を搭載していました。日本が用いたものでは零式観測機や零式三座水上偵察機が知られますが、アメリカ側でそれらにあたる機種だったのが、OS2U「キングフィッシャー」です。チャンス・ボート社が開発・生産し、1939(昭和14)年に採用されました。
同機の主な任務は主砲の着弾観測でしたが、開戦後は砲撃戦の機会が少なかったことから、もっぱら偵察や対潜哨戒に使われていました。ただ、OS2Uは別の任務も担っていました。それは、撃墜され生き残ったパイロットを救助すること。それに関して、アメリカ海軍の戦闘報告書には、太平洋戦争末期に日本本土からパイロットを救出したOS2U「キングフィッシャー」の勇敢なる逸話が記されています。
終戦5か月前の1945(昭和20)年3月26日に沖縄戦が始まると、アメリカ海軍は特攻機の基地になっていた九州を中心として、空母艦載機で日本の航空基地を連日にわたり爆撃していました。
5月14日は九州全域および四国の高知と松山が標的で、その中に大分県の宇佐飛行場が含まれていました。この作戦でアメリカ空母「ランドルフ」を飛び立った急降下爆撃機SB2C「ヘルダイバー」の1機が、対空砲火で周防灘の姫島近くに不時着水します。
アメリカ軍機には圧縮空気で展張する救命ボートが装備してあり、脱出した2名の搭乗員は海上に避難しました。
同空母の写真撮影班だった8機のF6F-5P戦闘機が救命ボートを発見、上空を旋回しながら哨戒していると、東から西に向かう日本の駆逐艦2隻が迫ってきました。その後、駆逐艦が救命ボートに銃撃を始めたのでF6Fは機銃掃射で注意をそらし、大事に至らないよう奮闘。やがて、救命ボートの搭乗員は重巡洋艦「アストリア」から飛来したOS2U「キングフィッシャー」観測機に救出されています。
近づいてきた日本の駆逐艦は、呉から下関を経て日本海を北上し大湊(青森県)を目指していた松型の「柳」と橘(たちばな)型の「橘」です。4月に戦艦「大和」の沖縄特攻から外されて、新たな配備先の大湊警備府に向かうところでした。このとき、「柳」ではF6Fの銃撃で死傷者が出ています。
太平洋戦争でのアメリカのエンジンが一つの水上機は、当時の日本海軍の水上機より性能的には劣るというような話しも一部はミリタリー雑誌やミリタリー本にはありますが、当時は日本の敵対国であったアメリカ側からすれば、意外と活躍していたんですね!
アメリカ側のキングフィッシャー水上機、私もミリタリーファンとして、機会あれば調べてみます。
ミリタリーファンとして、この記事は参考になりました。ありがとうございました。
日本近海で潜水艦が浮上して搭乗員を救助してたわけだからそんな不思議なことじゃない