軍艦で最も短命… 空母「信濃」が進水した日-1944.10.8 あっけなかった大和型3番艦
重なった不運 日本近海ももはや安全ではなかった
呉への回航を巡っては、ルートや時間帯をどうするかで、「信濃」と駆逐艦の艦長らのあいだで揉めたようです。結果的に夜間に外洋を通ることが決まりますが、時世柄たとえ日本近海であったとしても、アメリカ軍の攻撃は十分想定されました。
19時過ぎ、艦隊は早くもアメリカ軍潜水艦によって発見、追跡されます。日本の駆逐艦も対潜警戒を開始、一時は浮上した潜水艦に対し砲撃態勢を取りますが、「信濃」の正確な位置が把握されるのを恐れて中止されました。そういったなか、潜水艦は全速で艦隊を追跡し続け、攻撃の機会をうかがいます。
日付が変わった29日の午前3時過ぎ、アメリカ軍潜水艦は魚雷を発射、うち4本が「信濃」の右舷に命中しました。重装甲も手伝ってか、直後は著しい速度低下こそ見られなかった「信濃」でしたが、防火防水扉を閉鎖することで浸水・延焼被害を抑える「水密区画」などが未完成であり、徐々に傾斜度を増していきます。加えて、大和型戦艦ほどの大型艦は艦内が迷宮状態であり、赴任して日が浅い乗組員らは満足なダメージコントロールを行うこともできませんでした。
駆逐艦の曳航作業もむなしく、「信濃」は未明に沈没。その位置は潮岬沖、およそ50kmの地点でした。竣工からわずか10日のことであり、これは世界の軍艦で最も短命です。
先述の通り、「信濃」は航空戦力の増強を目的に、計画を変更してまで建造された大型空母でしたが、仮に艤装工事を完了できたとしても、戦局の悪化から燃料や搭載する航空機が欠乏していたでしょう。
実際、この時期の旧日本海軍では、中型空母のほとんどが艦載機ゼロで物資輸送に専念していたことから、おそらく「信濃」も同じような運命をたどったと思われます。
【了】
空母信濃について、『遅すぎた空母追加建造を取り巻く戦況悪化の追い撃ちは、元々強烈に根付いた大艦巨砲主義と言う古参な精神を最期迄捨て切れ無かった、当時の旧海軍の終焉を物語っていた❗』と痛感す❗