“核兵器+超音速”でも最強になれず B-1「ランサー」奇跡の復活で今や爆弾の鬼!
1回はキャンセルされるも新政権が開発再開
このように近年の紛争地域では極めて重用されたB-1ですが、この機体が開発されたときは、今とは形も任務も異なっていました。実はB-1には最初に開発されて試作で終わったA型と、後に改良されて現在運用されているB型の2種類があるのです。
この機体の開発が始まった1960年代頃は、アメリカ空軍の爆撃機は戦略航空軍団(SAC)に所属していて、その任務は核兵器を使用した国家を対象とする戦略爆撃でした。よって、最初のタイプであるB-1Aも戦略航空軍団が運用する核攻撃のための爆撃機として生まれた経緯を持ちます。
アメリカ本土からソビエト連邦陣営(現在のロシアとその周辺国)の国家中枢を爆撃するために、高高度超音速飛行による長い航続距離が求められ、同時に相手国に進入した時はミサイルなどの迎撃手段を回避するための低空飛行能力も必要とされました。これらは航空機の設計では相反する性能要求でしたが、B-1Aでは可変翼を採用することで対応。B-1Aは高度1万5000mをマッハ2で飛行することができたが、同時に音速以下の速度で高度150m程度の超低空を這うように飛ぶこともできました。
B-1Aは1974年10月26日に1号機が完成し、のちに4号機まで作られます。しかし、可変翼機構や複雑なアビオニクスを搭載しているために、想定される機体コストは予定の倍近くまで高騰してしまいます。
加えて、同時期に別の核攻撃手段として大陸間弾道ミサイル(ICBM)が発達したことも相まって、1977年にはB-1Aの開発計画はキャンセルとなってしまいました。ただ、B-1Aに使われている新技術は、今後の軍用機開発にも応用できると判断され、製造された試作機4機による飛行試験だけは続けられています。
こうして、いったんは採用中止となったB-1ですが、1980年に転機が訪れます。この年の大統領選挙によって誕生したロナルド・レーガン政権は、ソビエト連邦を「悪の帝国」と呼び、「強いアメリカ」を強調した政策を打ち出します。その結果、B-1も次世代爆撃機として開発が再開。こうして完成したのが現在のB-1Bなのです。
コメント