核ロケットで「来るなら来い」アメリカ守った究極の迎撃機F-106 市民生活の真横で
超厳戒態勢下にあった冷戦下のF-106飛行隊
ただ、このようにF-106「デルタダート」は当時としては超ハイテクだったため、高コストでした。前型のF-102が当時の価格で1機120万ドル(1ドル360円換算で約4憶3200万円)だったのに対し、F-106は1機330万ドル(同11憶8800万円)と倍以上もしたのです。そのため、アメリカ空軍は当初、F-102とほぼ同数の約1000機調達を目指していたものの、最終的に340機しか調達できませんでした。
なお、同時期にNATO(北大西洋条約機構)諸国が採用した戦闘機F-104「スターファイター」の価格が1機142万ドル(1ドル360円換算で約5憶1120万円)とされていたので、当時の航空自衛隊がF-104を選択したのは機体価格の点からも妥当といえるでしょう。
筆者が実機に触れたのは1982(昭和57)年8月のことです。このとき、F-106「デルタダート」を運用していたカリフォルニア州空軍第144戦闘要撃航空団を見学し、写真撮影はAIR-2「ジニー」核ロケット弾と一部の電子機器を除き許可されました。同航空団は民間機も発着するフレスノ空港の一角を基地として使用しています。そのためか、ランプの一部には制限区域が設定されており、自動小銃を持った兵士がアラート待機の機体を警備していました。
周囲を市街地に囲まれた空港の片隅に核兵器を装備したF-106戦闘機が出撃準備を整えて24時間、即応待機していたのです。それが東西冷戦の現実で、筆者は市民生活のすぐ隣に核兵器が共存していることを実感しました。
ロシアによるウクライナ侵攻が長期化しつつある今、ロシアのプーチン大統領は核兵器使用の可能性を何度もほのめかしています。フレスノ市で待機していたF-106「デルタダート」のように、核兵器が一般市民にとって“身近な存在”にならないことを望むばかりです。
【了】
Writer: 細谷泰正(航空評論家/元AOPA JAPAN理事)
航空評論家、各国の航空行政、航空機研究が専門。日本オーナーパイロット協会(AOPA-JAPAN)元理事
コメント