「少しの大型空母」「たくさんの小型空母」どっちが有利? 旧海軍を苦しめた空母のサイズ問題

日本はカタパルトの実用化がネック

 一方、日本は条約制限以下の公称9800トン「龍驤」を建造した後、「鳳翔」を破棄する前提で、公称1万50トン(実際には1万5900~1万7300トン)の「蒼龍」「飛龍」を建造します。

 同時に、日本は戦時の空母改装を前提とした制限外艦艇として、「大鯨」や剣埼型などといった潜水母艦を建造していました。これらは「基準排水量1万トン以下」の条約制限下で建造されたので、2万5675トンの翔鶴型を除いて、アメリカの同時期空母より小型だったといえるでしょう。

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旧日本海軍の空母「赤城」(画像:アメリカ海軍)。

 太平洋戦争が始まると、日本はミッドウェー海戦で「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」の主力空母4隻を一挙に失います。それを補うために日本は雲龍型空母を量産します。ただ、この時期になると、艦載機の性能が向上したことで、飛行甲板の長さがこれまでよりも必要になります。なぜなら、そうしないと艦載機の発艦が難しかったからです。とはいえ、後に「伊吹」で、発艦促進用のロケットを艦載機側に取り付けることで、小型空母の戦力化が可能と判断したようですが。

 一方、アメリカは小型空母でもカタパルト(射出機)を使えば重い艦載機でも発艦できたため、小型低速の護衛空母でも、アベンジャーなどの高性能艦載機を運用できました。

 では、太平洋戦争中では、大型空母と小型空母では、どんな特色があったのでしょうか。

 旧日本海軍が艦載機を発艦させる際、飛行甲板の先端部から70m程度は「発艦区域」となっていました。その後ろは「配列区域」となっており、先頭から艦上戦闘機、艦上爆撃機(艦爆)、艦上攻撃機(艦攻)の順番で並べます。魚雷を搭載した鈍重な攻撃機が、一番滑走距離を必要とするため、最も後ろに置かれたわけです。

 これは大型でも小型でも一緒ですが、例えば飛行甲板が延長後でも180mしかなかった客船改造の大鷹型は滑走距離が足りないので、魚雷を装備した新型艦攻「天山」は同時に3機しか発艦できないなど、艦載機運用能力が著しく制限されていました。

【写真】旧日本海軍の同型艦なし空母たち

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