兵器で最も重視される要素とは? 「レオパルト2」はなぜベストセラー戦車となったのか

「レオパルト2」は西側最大のベストセラー戦車へ かたや東側陣営では…?

 とはいえ「レオパルト2」は、ドイツのブランド力だけで売れたわけではありません。

 クルマのディーラーが謳うセールス文句そのままのような、堅実かつ発展性のあるその設計は、ユーザー独自の改修を施す余地が大きく、ドイツ政府やメーカーはそうしたニーズに応じ、仕様変更にも対応する柔軟なサポート態勢を整えるという品質向上にも努力しました。

 こうしてドイツおよび「レオパルト2」は、ユーザーが増えればさらにアフターフォローも充実するという、持続可能なビジネスモデルの構築に成功したのです。ウクライナが「レオパルト2」を熱望した大きな理由のひとつは、この充実したアフターフォローを期待してのことです。

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「レオパルト2」はユーザーのニーズに応じて改修できる設計上の余裕があった。ポーランド陸軍仕様に改造された「レオパルト2PL」(画像:ポーランド国防省)。

 ここでひとつ注意が必要なのは、戦車をはじめ兵器ビジネスは、クルマのビジネスとは違って基本、国家間取引で、製品力だけでなく外交関係の影響を強く受ける、ということです。

「レオパルト2」と対決するかもしれないロシアのT-72戦車は、これまで41か国で使われ生産台数も2万5000両以上という、「レオパルト2」をしのぐベストセラーです。しかし、日本でソ連/ロシア製のクルマをほとんど見かけることがないように、かの国に「工業力のブランド」は、宇宙技術など以外にあまり感じられません。

 T-72がベストセラーになったきっかけは、戦車の製品力というより、旧ソ連を中心とする社会主義陣営のなかで友好国へ政策的に安価で輸出し、一方で国産戦車の開発を許さないという、ソ連の政策的要因が大きく関係します。第2次世界大戦まで戦車王国と呼ばれたドイツの系譜を継いだ西ドイツが、「レオパルト」という傑作戦車を生み出したのとは対照的に、ソ連の社会主義陣営に入った東ドイツは、戦車の試作すら許されませんでした。

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冷戦期、東側陣営の最前線だった東ドイツ軍のT-72戦車。西ドイツと並び戦車王国の血統でもある東ドイツだったが、盟主ソ連の意向で戦車の独自開発は許されなかった。

 ただ、ソ連/ロシア戦車はコスパに優れていました。T-72は先端技術こそ使われていませんが、長く使われている堅実な技術で高い信頼性がありました。そうでなければ政治力のごり押しだけで、41か国ものユーザーを獲得することはできません。ユーザーが増えれば品質も安定し、アフターフォローも充実するという持続可能なビジネスモデルができたのは、「レオパルト2」と同じ流れともいえます。

【画像】WW2当時から完成度高いな! 並べて見比べるIV号戦車と「レオパルト2」

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コメント

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1件のコメント

  1. ポーランドのレオパルト2については、ドイツが1両を1€で売ったからというのとドイツ政府とポーランド政府の取り決めがあったからじゃないかなぁ。
    今のポーランドはドイツ戦車を早く追い出したくて仕方ないみたいに見える。