H3ロケット打ち上げ「失敗」? いえ「中止」です! 実は“まだ飛んでいない” その定義
大勢の人が見守るなか、国産新型ロケットH3が打ち上げを中止しました。第一段エンジンに点火したものの飛び立たなかった今回の事例は、“失敗”とも、ただの“中止”とも主張されています。今回の件は“失敗”なのでしょうか。
H3打ち上げ「失敗」ではなく「中止」なぜ?
2023年2月17日に予定されていた「H3」ロケットの打ち上げ。日本にとって22年ぶりに迎えた新型ロケットの打ち上げとあって、各方面から大きな注目を集めました。ただ、その打ち上げは離床寸前で中止となりました。第一弾エンジン点火後というまさに発射直前のタイミングでの中止は、1994(平成6)年8月の「H-II」ロケット2号機以来、29年ぶり2回目です。
今回は打ち上げも、その中止も、大きな注目を集めました。なかでも一部メディアから「打ち上げは失敗なのではないか?」との問いかけに、JAXA(宇宙航空研究開発機構)側が首を縦に降らなかった場面も。どのような流れで打ち上げ中止に至ったのでしょうか。また、「失敗」と「中止」の考え方の違いはどこにあるのでしょうか。
発射管制を担っていたJAXAの説明を基に今回のH3打ち上げ中止の流れを整理してみると、第一段エンジン「LE-9」の燃焼開始から固体ロケットブースタ「SRB-3」の点火までの間に、何らかの異常を検知して、SRB-3の点火信号が送られず、LE-9も緊急停止したようです。
ちなみに、異常検知は人間ではなく、ロケット搭載の電子機器が自動的に行いしました。そのため、緊急停止も人間の手を経ることなく、自動で行われています。
元々、カウントダウン中に何らかの異常を検知した場合は自動停止するような設計になっており、設計時における想定内の動作といえます。ただ、具体的にどこが悪さをしたのかという原因究明は、自動停止時の信号から回路レベルまでたどって突き止めるしかないため、数日かかる見込みです。
なお、H3はLE-9の開発が難航しましたが、今回は点火して推力も出ていることと、異常検知がエンジンの推力発生後であったことから、LE-9が自動停止の原因ではないと考えられています。
現在のところLE-9もSRB-3も健全だと捉えられていることから、点検時に不具合が見つからない限り、交換せず再打ち上げに臨む予定です。
『中止』とか『失敗』とか見た人それぞれ言論は自由のはずです。
あれから何日経ちましたか?
単語の使い方よりも、これから先如何に改善がなされるかが重要ではないのでしょうか?
少なくとも予定日に成功しなかった要因が想定外であった事と、ロケットは無事であることは事実です。
関係者でもない人々がひとりの記者の言葉ひとつに騒ぎ立てる必要は無いと思います。。記者会見で記者の発言に規則があったのならば別でしょうが、記者が感じたことを自由に発言しただけのことで、それが世間一般の意見とは限らない。
それよりも次にどう対策を立てるのか、暖かく見守りたいですね。
宇宙の歴史に比べればほんの一瞬の立ち止まりです。
資金は国民の税金を沢山使っているのでしょうから、最悪の事態を回避し確実に一歩進んでくれていることを願います。
天候の問題もクリアしメインエンジンも点火したのに、プログラムが異常検知して補助エンジンに火が付かなかったということは、マシントラブルが発生したということだから結局は失敗では?
打ち上げ前に止められたから大失敗にはならずに済んだが。
なぜこの技術の粋をあつめたロケットは垂直に帰って来れないんですか?
H3は端的に言えばH2のコストダウン版であり、そういった機能があれば理想的なのですが日本の国力を結集してもアメリカの民間企業には敵わないのが現状なのです。
私も仕事で失敗して悔し涙を流せば周りが感動してくれる環境で働きたいものですね。
「失敗」じゃなくて「中止」で正しいですよ。ロケットには打ち上げ成功率って指標があって、成功・失敗の定義はほぼ万国共通です。(目的達成/打ち上げ回数で計算)
H3は打ち上げてもいませんから、成功にも失敗にもカウントされません。
打ち上げ再開できる状態を維持してるんだから、日本語としても「中止」⇔「再開」の関係にあるのは明らかでしょう。「失敗」言いたい人の中では「失敗」⇔「再挑戦」になってるみたいですが・・・
・成功=打ち上げの結果、宇宙機を目指す軌道に送り届けることができた。と説明しているのに、宇宙機を目指す軌道に送り届けることをできなかったことをなぜ、「失敗」と表現しないのか不思議。ちゃんと「失敗」と言って対応していれば、本日のような「失敗」は起きないと思う。この論理で行くと、破壊指令はちゃんと機能したので、失敗ではないと言う論理になるのだろうな。人は失敗を経験して成長していくものだと思う。失敗を失敗と認識しなければ、成功はないと思う。