8、9、10、12…あれ、11は? 東武亀戸線「欠番踏切」の謎 どこにあった?

東武亀戸線には構内踏切を除き、起点の曳舟駅側を第1号として22号までの踏切があります。では全部で踏切数は22か所かと思いきや「21」。なんと欠番踏切が存在するのです。

踏切番号は曳舟駅側から「亀第1号」

 ローカル線の存廃問題が熱を帯びている昨今ですが、人口の多い東京においては、そうした問題とは今のところ無縁です。ただ、東京らしくないローカル線然とした雰囲気を放つ路線も区部にあります。

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東武亀戸線の亀第12号踏切。亀戸線では、2016年からリバイバルカラーの車両を運行。通過しているミディアムイエローの車両は2017年に運行開始(2023年4月、小川裕夫撮影)。

 東武鉄道亀戸線もそのひとつで、同線は墨田区の曳舟駅から江東区の亀戸駅までを結ぶ約3.4kmの短い路線です。日中時間帯は2両編成の電車が約10分間隔で行き来しています。

 全線を通じて下町情緒ある住宅街を通っているので、雰囲気はのどか。そして地平を走るため、道路との平面交差が多く残っています。踏切の数は構内踏切を除き計21か所。曳舟駅側を「亀第1号」とし亀戸駅側まで22号が割り振られています。

 ここで疑問が浮かびます。1~22号ならば、踏切数は22か所になるはずです。でも1つ少ないとはどういうことでしょうか。

 それは消滅した踏切があるからです。場所は「亀第11号」。東あずま~小村井間にありました。亀第10号踏切が小村井駅側に、亀第12号踏切が東あずま駅側に現存しているので、亀第11号は欠番というわけです。

 ただし元から欠番だったわけではありません。昭和20年代に発行された地図や戦後に撮影された航空写真を見ると、上記区間には亀第11号と思しき踏切が確認できます。東武鉄道によると、閉鎖されたのは1970(昭和45)年9月29日。ただ理由については記録として残っていないので不明とのことです。

 踏切が存在していた当時は、周囲には農地も見られました。しかし約半世紀の歳月を経た現在、付近は住宅密集地へと変貌を遂げています。亀第11号踏切があったと思われる場所に行ってみましたが、その痕跡は一切見当りませんでした。

 このように、何らかの理由で廃止された踏切も都内には少なくありません。道路が少し線路側に突き出て、かつて踏切があったと分かる箇所もあります。亀第11号踏切では、線路を挟み南北に途切れた細街路があるので、おおよその位置を特定する手掛かりにはなりました。

【了】

※両数の箇所を修正しました(4月26日19時00分)。

【地図・写真】消えた踏切の場所と現況を見る

Writer: 小川裕夫(フリーランスライター・カメラマン)

フリーランスライター・カメラマン。1977年、静岡市生まれ。行政誌編集者を経てフリーに。官邸で実施される首相会見には、唯一のフリーランスカメラマンとしても参加。著書『踏切天国』(秀和システム)、『渋沢栄一と鉄道』(天夢人)、『東京王』(ぶんか社)、『私鉄特急の謎』(イースト新書Q)など。

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