片扉の狭幅車体にゴツいブレーキ… 京王井の頭線3000系“追憶の初期型”はいま、北陸で最後のとき
譲渡にあたり大きなスノープラウを装着
さて、様々な差異のあった3000系一族のなかで、一際気になる存在だった第1、2編成は、“朝活”といっても日によって運用が異なるため、毎日撮れたわけではありません。それに当時のカメラはフィルムです。フィルムは現代よりも安価でありましたが、学生には負担が大きく、1日数枚と決めて撮っていたと思います。そのためフィルム時代は何かとカット数を節約しながら、チャンスを確実に仕留める心意気で撮っていたような……。
運行ダイヤはパターン化されており、平日朝7時台から8時台を狙っていれば、ある程度出会うことができました。冬の朝日が昇りきる前から沿線に待機し、吉祥寺行き、富士見ヶ丘行き、渋谷行きと、上下線を往復する第1、2編成を追い続け、朝ラッシュの渋谷方面は片扉の大きな窓に人々が圧し合う光景が印象的でした。
第1、2編成は、新形式の1000系電車デビューによって廃車となりました。1995年の冬は富士見ヶ丘検車区(東京都杉並区)で1000系の第1、2編成と並ぶ姿があり、人生初の取材申請まで行って撮影したほどです。前出の通り3000系の第1、2編成は翌年、北陸鉄道へ旅立って行きました。
北陸鉄道浅野川線は2両で1編成を組むため中間車は使用されず、京王重機工業で先頭車の電装化が施されました。パンタグラフのほか雪国らしい大きなスノープラウが装着され、随分と印象がごつくなりました。浅野川線に渡った片扉車はいま、最後の走りを見せています。
【了】
Writer: 吉永陽一(写真作家)
1977年、東京都生まれ。大阪芸術大学写真学科卒業後、建築模型製作会社スタッフを経て空撮会社へ。フリーランスとして空撮のキャリアを積む。10数年前から長年の憧れであった鉄道空撮に取り組み、2011年の初個展「空鉄(そらてつ)」を皮切りに、個展や書籍などで数々の空撮鉄道写真を発表。「空鉄」で注目を集め、鉄道空撮はライフワークとしている。空撮はもとより旅や鉄道などの紀行取材も行い、陸空で活躍。
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