ANA入りでやっと羽ばたく? 日本貨物航空「NCA」多難の半世紀 海運業界とJALのはざまで

日本唯一の国際線航空貨物の専門会社NCA(日本貨物航空)がANAホールディングスの子会社になります。実はNCA、会社創設までも紆余曲折あった「難産の子」でもあったとか。その波乱万丈の社歴を振り返ります。

終戦直後から始まった日の丸貨物航空の模索

 海運大手・日本郵船グループからANAホールディングス(全日空HD)の子会社になることが決まったNCA(日本貨物航空)。同社は日本唯一の国際線貨物を専門とする航空会社で、「ジャンボ」の愛称で知られるボーイング747-8Fを保有・運航していますが、設立から今日に至るまでの道のりは決して平坦なものではありませんでした。就航までの紆余曲折や、なかなか改善しない収支、そして度重なる行政指導など、波乱万丈とも言えるNCAの半生について振り返ってみましょう。

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NCA(日本貨物航空)とANAカーゴの両貨物機(深水千翔撮影)。

 貨物専用航空会社の構想は1950年代から存在しており、1959年12月には日本郵船、大阪商船(現・商船三井)、三井船舶(同)の3社がJAL(日本航空)との間で「適当時期の到来を待って新会社による国際航空貨物運送事業の運航を開始する」という確認書を交わしています。

 背景には飛躍的な進歩を遂げつつあった航空業界に対する海運業界の危機感がありました。1960年代に入るとダグラスDC-8やボーイング707といった大型の貨物ジェット機が登場し、それに伴い航空貨物の輸送量が増大。日本からはカラーテレビのような家電が飛行機へ載せられ、大量に輸出されていきました。

 一方で1970年11月には、川崎汽船と山下新日本汽船(現・商船三井)がANAと国際航空貨物への参入に合意し、共同研究チームを発足させています。

 ただ「45・47体制」の下で国際線の運航を独占していたJALは、貨物のみとはいえ新たな航空会社の設立には消極的で、日本郵船と大阪商船三井船舶(1964年に大阪商船と三井船舶が合併して誕生)が構想する新会社は宙に浮いたままの状態が続きました。

 その間も貨物機は大型化し、ついにボーイング747が登場します。こうしたなか、日本郵船と大阪商船三井船舶はJALを見限り、ANAらのグループと接近。1978年9月27日に日本郵船、大阪商船三井船舶、川崎汽船、山下新日本汽船(当時)の4船社と、ANAの共同出資により日本貨物航空(Nippon Air Cargo Lines:NAC)が設立されました。

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