ANA入りでやっと羽ばたく? 日本貨物航空「NCA」多難の半世紀 海運業界とJALのはざまで

初フライトが計画から25年以上もかかったワケ

 しかし運輸省(現・国土交通省)に提出した「定期航空運送事業」の免許申請書は、同省の判断で航空局に留め置かれます。そして就航までさらに長い時間を費やすことになります。

 なぜなら、まず成田空港(新東京国際空港)の燃料輸送パイプラインが、反対運動で完成の目途が立たず、鉄道輸送で代替している状況では、ハブ空港とするには難しかったこと。もう一つは日本への乗り入れ権を持つアメリカの航空会社が、新規路線の開設に反対し日米航空交渉が行き詰まっていたこと。さらに、国際線1社体制を守りたいJALが新規参入に反対していたことなどが大きな障壁となっていたからです。

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新型コロナワクチン輸送に投入されたANAのボーイング787旅客機(深水千翔撮影)。

 とはいえ、成田空港のパイプラインについては1983年8月に完成。運輸省も前後して「45・47体制」の見直しに向けて動き始めます。運輸審議会の公聴会では、JAL側が「供給過剰」として就航に反対意見を唱えるものの、NACの堀 武夫社長(当時)は「日米間の輸送シェアは貨物専用機が80%を占め、旅客機は20%に低迷している」と反論。こうしたことを受け、最終的にはNACに対して「定期航空運送事業」の免許交付が認められました。
 
 この後、日本貨物航空は英文社名をNACから今の「Nippon Cargo Airlines:NCA」へと変更。ジャパンラインと昭和海運も資本参加し、開業に向けて準備を整えていきます。

 そして1985年2月、東京で開かれた日米航空交渉でNCAのアメリカ乗り入れが認められるとともに、日米間の航空路線も複数社に開かれることが決まりました。こうしてNCAだけでなくANAも国際線開設へ踏み出すことになります。

 全ての問題がクリアし、初便としてボーイング747-200Fが成田空港から飛び立ったのは1985年5月8日のこと。当初の計画から25年以上もの時が流れていました。

 なお、20年後の2005年7月には、日本郵船がANA保有のNCA株式すべてを取得し、子会社化に踏み切ります。これは、同社が海運を中心としつつ、成長する航空貨物市場のニーズを取り込み、総合物流企業として事業規模の拡大を図ることを狙っての動きでした。

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