「戦車先進国だったんじゃ…」第2次大戦初頭の激突でボロ出したフランス 露呈した大きな弱点とは?
歩兵より移動速度が遅い戦車も
アニューの戦いの後、アルデンヌの森を抜けてきた機甲師団が主体のドイツA軍集団相手には、さらなるフランス戦車の問題が露見します。当時、フランスは強固な陣地を構築したうえで守勢に徹する戦法でしたので、戦車もそれに特化する形となっており装甲が分厚い代わりに速度が遅かったのです。
さらに速度だけではなく、燃費も悪い戦車が多かったので、状況次第では歩兵の方が速く移動できたほどだとか。戦車の中には、無理な追撃を行った結果、途中で燃料切れとなり、そのまま放置されてドイツ側に鹵獲(ろかく)されたものもありました。
そのため、セダン方面に侵攻してきたドイツのラインハルト装甲軍団相手に、長大な戦線に散らばった戦車をうまく編成することができず、機動力で防御手薄な突出部の側面を突き、補給路を断つことができませんでした。結果、かなりの数の戦車が戦線には投入されず、地中に埋められトーチカがわりにされたと言われています。
セダンを抑えられ、劣勢に転じた後のフランス戦車部隊は、フランス軍の指揮系統の混乱もあり、さらに精細を欠くこととなります。
1940(昭和15)年5月21日、アラスで行われた戦車戦では、混乱するフランス軍にかわり、イギリスの戦車部隊が主体となるほどでした。緒戦でドイツの侵攻を食い止めるなど、一部では、ドイツ戦車を上回る高性能ぶり見せたフランスですが、あまりにも防衛戦に固執したプランで戦車も開発してしまったため、戦争全体でみると、軽快なドイツ戦車に圧倒される形となってしまったと言えるでしょう。
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Writer: 斎藤雅道(ライター/編集者)
ミリタリー、芸能、グルメ、自動車、歴史、映画、テレビ、健康ネタなどなど、女性向けコスメ以外は基本やるなんでも屋ライター。一応、得意分野はホビー、アニメ、ゲームなどのサブカルネタ。
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