そこは「廃線跡」 蒲田の車両基地脇から延びるアヤシイ小道の正体 カーブ描いて住宅街へ
矢口発電所の跡地はいま
看板の説明では、「残された軌道は戦後取り外され、土建材料の置き場になったりしました」とあります。看板のある道塚第三児童公園は歩道がブロック敷で、かつて2本のレールが敷かれていたことを示すかのように、色の違うブロックで描かれた2本の線が続いています。
古い地図や航空写真を確認すると、専用線跡には確かに民家がいくつか立っており、だんだんと公園として整備されていった模様です。現に、西端の古川児童公園を過ぎると民家にぶつかり、線路跡がわからなくなっています。
とはいえ、その区画は50m程度で、その先に大規模な団地が現れます。ここが矢口発電所の跡。大正時代の地形図を見ると、「鉄道省矢口発電所」と書かれており、かつての線路は、敷地の西端まで続いていたようです。
ちなみに、関東大震災で崩れてしまった矢口発電所の建物は、当時の資料に幅120尺(約36m)、軒までの壁の高さ43尺3寸(約13.1m)の「鉄骨煉瓦ノ大建築」と記されています。当時としては相当にモダンな建造物だったのではないでしょうか。
【了】
地図からは、目蒲線が南側から回り込み国鉄駅に横付けしているのもわかりますね。