旧日本海軍艦で“最も長く現役だった艦”とは ご長寿揃いだった明治生まれたち 米軍も興味津々?

太平洋戦争も第一線で戦い続けた老艦

 1927(昭和2)年、「常盤」は訓練時に搭載機雷の爆発事故を起こしたことなどから、1930(昭和5)年のロンドン海軍軍縮条約では、代艦となる新たな敷設艦の建造が認められたものの、結局、海軍は代艦を造りませんでした。その結果、在外警備艦から予備艦を経て、1940(昭和15)年には現役に復帰します。

 太平洋戦争直前となる1941(昭和16)年11月より、「常盤」は南太平洋のエニウェトク環礁とビキニ環礁に機雷を敷設。大戦が始まると1942(昭和17)年にアメリカ空母機の空襲で被害を受けたものの、ギルバート諸島への増援部隊輸送や船団護衛に従事したほか、黄海、東シナ海、石垣島、宮古島、対馬海峡、宗谷海峡、津軽海峡、台湾海峡などへ機雷を敷設するべく動き回り、同型艦の「浅間」とは比べものにならないぐらい忙しく活動し続けました。

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旧日本海軍の装甲巡洋艦「常盤」(画像:アメリカ海軍)。

 しかも「常盤」は大きな損傷を被ることがなかったため、終戦の年1945(昭和20)年になっても、南西諸島への緊急輸送作戦に従事するなど任務で奔走しています。なお「常盤」は最終時に主砲塔を撤去していたものの、二二号電探や一三号電探といったレーダー類、三式水中探信儀といったソナー類が装備され、当時としては最新の兵装で身を固めていたようです。

 終戦一週間前の8月9日、青森県大湊にいた「常盤」は、アメリカ空母機の攻撃で損傷。沈没せずに排水作業を続けたものの、8月15日の終戦を迎えました。

 終戦により「常盤」乗員は艦を去らねばならないため、曳船の助けを借りて座礁させ、沈没を免れます。1947(昭和22)年、「常盤」は解体されましたが、1899(明治32)年に就役した旧式艦が、第2次世界大戦終結まで第一線で活用されていたのは「常盤」のみでした。「常盤」は「永遠不変」を意味する言葉ですが、その名にふさわしい生涯と言えるのではないでしょうか。

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