日本一古い列車愛称「さくら」の長~い歴史 2度の消滅から新幹線で復活 物議もごもっとも?

寝台特急として生まれ変わる

 1937(昭和11)年には、3等座席車が向い合せ座席のスハ32800形に変更され、1941(昭和16)年には3等寝台車の連結が取り止められるなど、輸送力増強に合わせて編成が変更されつつも、運行区間は1942(昭和17)年の関門トンネル開通後に、東京~鹿児島間に延長されます。

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臨時列車用に使用されたと思われる43系客車(安藤昌季撮影)。

 1943(昭和18)年の制度変更で「第一種急行」となった「櫻」(列車名も廃止されたとされるが、一部の時刻表には記載)は、1945(昭和20)年になっても東京~下関間を走る唯一の急行でした。

 戦後の1951(昭和26)年、ひらがな表記になった「さくら」が、東京~大阪間の特急「つばめ」を補完する臨時特急として復活します。「さくら」は「つばめ」の2~10分後に運行されました。好評を博した「さくら」は特別2等車も連結。多客期には必ず設定されていましたが、電車特急「こだま」が登場する直前の1958(昭和33)年10月に廃止されます。

 翌1959(昭和34)年7月、寝台特急「平和」に20系客車が投入されたことを契機に、東京~長崎間の寝台特急として「さくら」が復活。1965(昭和40)年より、編成の一部が佐世保着発に改められます。この時の編成は、電源車1両(途中から佐世保編成に電源車を連結)、1等寝台車2両(1両は1人用個室を備えたナロネ22形)、2等寝台車11両、食堂車1両でした。

 そして1972(昭和47)年、「さくら」は、電源車を持たず分割併合に適した14系客車に置き換わります。この時の編成は、A寝台車1両、B寝台車13両、食堂車1両で、佐世保編成がB寝台車6両、後は長崎編成でした。

【写真】「さくら」に使われた1等個室寝台

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1件のコメント

  1. 丹奈トンネル? 直していただければ