まだ怖い存在…明治時代の電車「ビリビリッ!!」事件簿とは 「近所の銭湯へ感電事故」も!?
都心の路面電車では「わずか半月で40人以上被害」
例えば1909(明治42)年4月21日付朝日新聞の「銀座街頭の一惨事」と題する記事には20日朝、銀座二丁目の交差点を通過中の電車が架線を断ち、垂れ下がった架線が歩行者に接触、1人が死亡する事故が発生したと伝えています。記事は「架空線の下を歩くは大危険」との見出しも付けており、上空から襲いかかる電気に警戒するよう呼びかけています。
これは珍しい話ではなかったようで、前年1月19日の朝日新聞の記事でも、当月に入って当時市内の路面電車を運行していた東京鉄道で架線の断線や漏電が多発し、45人が被害を受け、うち2人が即死、5人が重傷を負ったと伝えています。
同社は3月中に架線を取り換える予定だったのを、東京市による買収の話が持ち上がったため工事を見送ったと報じられており、当時の設備状況の悪さがうかがえます。
当時は電気保安も不十分で、1909(明治42)年7月16日付朝日新聞は「京浜電鉄(現在の京急)の危険 青火を吐きて乗客を驚かす」として、14日昼に車両の漏電で車内に青火が起こる事象が発生、15日朝にもバッテリーの損傷で火花が散り乗客の一部が微かに感電したと伝えています。
1910(明治43)年9月17日には北品川御殿山付近で電柱から漏電し、周辺を歩いていた牛3頭が感電して倒れました。幸い手当をして息を吹き返したとのことですが、街に危険があふれていたことが分かります。
また1911(明治44)年1月12日付朝日新聞によれば、北青山で10日夜、東京鉄道の架線が切断し、電流が地下の水道管経由で近所の銭湯に伝わって十数名が感電。幸い死傷者は出なかったものの悲鳴があがる「事件」が起きたというから、おちおちお湯にもつかっていられませんでした。
コメント