通勤は戦争!?「運行情報」「時差通勤」を生んだのは戦時中の"極限状況" 今と変わらぬシステムとは

あまり定着しなかった「もう一つの取り組み」現在は?

 さてもうひとつ、近年馴染み深くなった「時差通勤」も、実は戦時中が発祥です。この制度は第2次世界大戦中、ロンドンにおける工場通勤路線の大混雑の解決策として生まれました。工場の始業時間が7時半~8時の間に集中していることに着目し、出勤時間をずらすことで混雑を解消したのです。

 日本でも太平洋戦争開戦後、1943(昭和18)年10月の旅客列車大幅削減などの影響で、通勤路線の混雑が激化。これに対処するため、1944(昭和19)年4月1日から時差通勤を導入しました。

 ところが実際にはほとんど効果がなかったようです。というのも当時の民間企業は概ね9時始業・17時終業でしたが、困難だという理由で変更できず。軍需工場では、もともと二交代制ないし三交代制で操業しており、朝の勤務は7時始業のため影響が少ないとされ、そのままに。学校へは始業を10時に変更するよう要望しましたが協力校は少なく、結局のところ勤務時間をずらしたのは官庁だけだったといいます。

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郊外から都心への通勤で混雑する電車(画像:清瀬市)。

 時差通勤は戦後、1960年代初頭の東京の人口増加により中央線などで激しい混雑が発生し、運行がマヒする事態となったことで、再び導入されました。その後、抜本的対策として主要路線の複々線、三複線化が進められましたが、平行して時差通勤の呼びかけも続けられました。

 それでも定着とは言い難い状況だった時差通勤。今度は現在、コロナ禍以降に再びラッシュのピークカット、分散が重視されるようになり、JR東日本がオフピーク定期券を発売するまでになりました。

 こうした取り組みやデジタル技術の活用で、今も続く「戦争」が変化するのか注目です。

【了】

【画像】ヤバイ…! これが「終戦直後の通勤風景」です

Writer: 枝久保達也(鉄道ライター・都市交通史研究家)

1982年、埼玉県生まれ。東京地下鉄(東京メトロ)で広報、マーケティング・リサーチ業務などを担当し、2017年に退職。鉄道ジャーナリストとして執筆活動とメディア対応を行う傍ら、都市交通史研究家として首都圏を中心とした鉄道史を研究する。著書『戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団』(2021年 青弓社)で第47回交通図書賞歴史部門受賞。Twitter:@semakixxx

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