戦艦大和と並ぶ極秘兵器は武装全部盛り その名は「鉄竜」 中国人が恐れた“陸上軍艦”とは

装備てんこ盛り 大きすぎて限定運用に

 陸軍参謀本部は1932(昭和7)年、統一的な「臨時装甲列車」(別呼称は軽装甲列車)を計画します。「臨時」というのは有事の際、現地で入手可能な資材を使って満鉄の協力も得ながら製作できることを基本コンセプトとしたからです。装甲板も現地で工作しやすい平板の鋼板を組み合わせたので、角ばった箱型となりました。

 旧陸軍のやりたいことを全部盛りしたため、遠距離砲戦のできる砲兵車から近接戦闘用に歩兵を添乗させた歩兵車、修理資材を積載する材料車から炊事車まで、12両という編成になりました。動く要塞といってもよい迫力ですが、大きく重すぎて走行できる路線が限られてしまい、使い勝手は良くなかったといわれます。それでも20編成前後が作られ、標準的な旧日本陸軍の装甲列車となります。

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旧日本陸軍の標準となった「臨時装甲列車」。九四式と比べるとデザインは洗練されていない(画像:月刊PANZER編集部)。

 軽装甲列車をコンパクト化して火力支援に特化し、1934(昭和9)年に制式化されたのが「九四式装甲列車」(別呼称は重装甲列車)です。編成は1号車から「警戒車」「十四年式10cmカノン砲の火砲車(甲)」「十四年式10cmカノン砲の火砲車(乙)」「7.5cm野戦高射砲2門の火砲車(丙)」「指揮車」「機関車」「炭水車」「電源車」の8両編成でした。編成から分かるように、運用は1号車先頭が基本で、前後どちらでも同じよう使えるというわけではありませんでした。

 武装は火砲車のほか周旋回できる砲塔、高射も平射もできる十四年式10cmカノン砲を2門、7.5cm野戦高射砲2門、各車に九二式重機関銃計14挺というもの。1個大隊並みの火力を持ち、装甲厚は側面10mm、そのほかは6mmでした。他に30cm探照灯、500kmまで通信可能な無線機を備えました。完成したのは1編成のみで、車両の分割運用はできませんでした。

【走る要塞!!】「鉄竜」こと九四式装甲列車の全貌(写真)

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