「やっぱ空母つくった方が…」戦前に幻となったイタリア空母2隻の顛末 “とりあえず改造で”が運の尽き?

かつて空母建造のトレンドに遅れたイタリア海軍は、第二次大戦中にようやく商船を改造し空母を建造することを決断します。しかし、戦時中の建造は困難を極めていました。

半島のおかげで空母はいらないはずだった

 今から80年前、第二次大戦中の1943(昭和18)年9月8日にイタリアは降伏しますが、その後、ナチス・ドイツはグラン・サッソ襲撃によってムッソリーニを救出し9月23日にはイタリア社会共和国の成立を発表。イタリアは南北に分かれて引き続き戦うことになります。
 
 このイタリア降伏の際、とある未完成の艦船2隻がドイツに接収されます。それはイタリア初の空母になる予定で建造中だった「アクイラ」と、空母としての建造を断念した「スパルヴィエロ」でした。同国の空母といえば、戦後、1985(昭和60)年に就役した軽空母「ジュゼッペ・ガリバルディ」が最初ですが、その前に幻の空母があったのです。

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戦後、解体のために引き上げられた「アクイラ」(画像パブリックドメイン)。

 戦前から世界有数の海軍力を保有していたイタリアですが、各国が空母を建造するなか、それには消極的でした。というのも、イタリア海軍の行動範囲が基本的に地中海に限られていたからです。イタリア半島が地中海から突き出したようになっているため、地上基地から広範囲の航空支援が可能で、それほど空母の必要性を感じていませんでした。

 しかし1940(昭和15)年11月11日深夜、ハイヒールの形をしたイタリア半島のヒールの付け根に位置するタラントで、イタリア海軍の軍港がイギリス海軍により爆撃を受けます。この「タラント空襲」では、戦艦1隻沈没、2隻大破という大打撃を被り、敵の領域の深くまで航空機を送れる空母の利点を痛感したことや、空からの護衛不足で北アフリカ向け物資輸送船が損害を受けたことなどもあり、イタリア海軍は慌てて空母の開発計画を立ち上げることになります。

 ただ空母の新造は戦時のため困難ということで、「ローマ」と「アウグストゥス」という姉妹商船を空母に改修する計画となります。「ローマ」は名称を変更し「アクイラ」となり、本格的な改修を行う商船改造空母として、1941(昭和16)年11月からジェノヴァのアンサルド社が工事を開始、「アウグストゥス」の方は、遅れて1942(昭和17)年12月から特務航空母艦「スパルヴィエロ」として簡易的な改造が施されることに決まりました。

 このように扱いに違いができた理由は、「アウグストゥス」の動力が、当時では珍しいディーゼル機関であったことが影響しています。現在でこそディーゼル機関の艦船は珍しくありませんが、当時はパワー面で不安があるため蒸気タービンが主流でした。そのため、イタリアの近海で動かす簡易的な空母にと考えたのです。

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