ポルシェが作った「世界一重い戦車」とは 技術詰め込んだのに「実戦投入ゼロ」で終わったワケ

規格外の重武装・重装甲を実現

 なぜここまで重い戦車が生まれたかというと、1941年6月に独ソ戦が始まったことが原因です。

 同戦線で、ドイツはT-34中戦車やKV-1重戦車など、対戦車戦を考慮した合理的な防御力を誇るソ連戦車に手を焼いていました。そこで同年11月には、早くもヒトラーがこの状況を打開するため、総統官邸における会議でポルシェ博士にこうしたソ連の優位を全て覆す、超重戦車を作るように打診したといわれています。

 ヒトラーは1943年までにソ連軍にも超重戦車が投入されると思っており、それを危惧した結果、超重戦車の開発に着手したという説が有力なようです。なお、軍需大臣アルベルト・シュペーアは度々、この計画には反対していました。

 試作された「マウス」は砲塔に128mmと同軸別に副砲として75mm戦車砲を装備していました。当時と使用する砲弾こそ違いますが、単純に戦車砲の大きさだけで比べると、現在の西側陣営でスタンダード戦車砲のひとつである「ラインメタル120mm L44」よりも大きな口径でした。当時の戦車ならば、どの車両も相手の射程距離外から一方的に撃破できる能力を持っていました。全長は10m、全幅3.6m、全高は3.6mと、戦車というよりは“動くトーチカ”といったスケールでした。

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「マウス」車体後部から(画像:クビンカ戦車博物館省)。

 装甲の厚さも規格外で、砲塔前面は最大で220mmから240mm、最も薄い底面でも60mmです。ちなみに、この低面の装甲だけで、当時アメリカ軍ほか連合国軍で使用されていたM4中戦車「シャーマン」の側面装甲50mmよりも分厚くなっています。

 これだけの重武装・重装甲を実現した同戦車には当然すぎる問題が発生します。重すぎて橋を渡れなかったのです。

【え…、日本も研究したことがある!?】旧陸軍で考案された超重戦車とは(写真)

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