旧陸軍「隼」戦闘機の胴体なぜ山梨に!? 知られざる飛行場と秘密施設 幻の大本営移転とも関連アリ?

残された「隼」胴体、実は教育用だった?

 今回見学した一式戦闘機の胴体は、戦後に「ロタコ」の周辺にあった工場跡などから民間に金属素材として払い下げられた際に、軍用品として使用できないよう小さな四角い穴が幾つも開けられ、そのままの状態で市内の民家に保管されていました。そして近年になって「ふるさと文化伝承館」に寄贈されたそうです。

 ちなみに理由は不明ですが、どちらの胴体も下部が切断されており、たとえ工場が稼動していたとしても航空機のパーツとしては使える状態ではありませんでした。さらに一緒に見学した中村泰三氏によると、どちらもリベットの打ち方にミスやその指摘を印した箇所があったことから、新米工員への教育用として悪い工作手法を確認させるための見本として存在した可能性も考えられるとのことでした。

 現時点では全て推測のため、これは今後も引き続き調査を行い、その結果が待たれます。ただ、いずれにせよ新品同様で残る軍用機の実物パーツは非常にレアで、日本の航空産業の歩みを伝える貴重な資料と言えるでしょう。

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長年に渡り南アルプス市教育委員会では「ロタコ」の調査が続けられ、こうした半地下式の陸軍型掩体壕の模型も作られた。実際はこの上に木製でカマボコ状の屋根が付く(吉川和篤撮影)。

 この「隼」の胴体は、普段は「ふるさと文化伝承館」の資料室に収蔵保管されており、一般公開はされていません。しかし時折、郷土の戦争展などの企画展で表に出される機会もあります。また館内では、南アルプス市教育委員会が製作した「ロタコ」に関するガイドブックも配布されており、伝承館の近くにある前述の掩体壕跡は同市が土地を管理して、常に見学可能なようにしています。

 まだ世間にはあまり知られていない「ロタコ」と南アルプス市の戦争遺構ですが、双方とも歴史を伝える貴重なものであることは確かです。観光などで山梨県を訪れた際には、ぜひ「ふるさと文化伝承館」に立ち寄って、その知られざる現代史の一端に触れてみてください。

【了】

【超貴重!! 】これが一式戦闘機「隼」の胴体内側です!(写真)

Writer: 吉川和篤(軍事ライター/イラストレーター)

1964年、香川県生まれ。イタリアやドイツ、日本の兵器や戦史研究を行い、軍事雑誌や模型雑誌で連載を行う。イラストも描き、自著の表紙や挿絵も製作。著書に「九七式中戦車写真集~チハから新砲塔チハまで~」「第二次大戦のイタリア軍装写真集 」など。

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