米空軍の“なんでも屋” F-105戦闘機のぶっ飛んだマルチぶり「戦闘機は1種でヨシ」の先駆けか?

次々撃ち落されてしまったベトナム戦争

 アメリカ空軍は当初、F-105を1400機調達する計画を立てていました。ところが、1961年に就任したマクナマラ国防長官は国防費全体の費用対効果を最優先し、空軍と海軍に対して共通の軍用機を使うようにとの方針を打ち出してきたのです。このあおりを受けてF-105の生産は610機で打ち切られ、それ以降は海軍が導入を進めていたF-4「ファントムII」戦闘機を空軍でも採用することになりました。

 F-105は1960年には部隊配備が始まり、1962年には海外の基地にも配備が開始され、日本でも嘉手納基地の第18戦闘航空団や、板付基地(現:福岡空港)の第8戦闘航空団に配備されています。

Large 231010 f105 02

拡大画像

当時、州兵航空隊や空軍予備役飛行隊で現役だったセンチュリー・シリーズ3機種そろい踏みでの展示。1982年5月15日、旧マクレラン空軍基地で撮影。右手前からF-101B、F105D、F-106A(細谷泰正撮影)。

 ベトナム戦争では、アメリカが軍事介入するとともにF-105が投入され、早い段階から対地攻撃の主力機として重用されました。これは、核攻撃用に作られたため、優れた爆弾搭載量を誇っていたからですが、それは危険な任務でした。低高度では対空砲火、高高度では地対空ミサイルがF-105を待ち構えていたからです。

 結果、ベトナム戦争に投入されたF-105の約半数が撃墜されたほか、約50機が事故で失われています。ただ、これは当時のジェットエンジンの信頼性が低かったことも大きかったようです。このころのジェットエンジンは離陸時の推力を増やすため、水を噴射して取り入れる空気の密度を増やす方法を採っていました。その原理はターボ付き自動車エンジンのインタークーラーに似ていますが、保守に手間がかかる厄介な仕組みでした。

 爆弾を満載したF-105は、離陸時にアフターバーナーと水噴射の両方を使用して何とか離陸できるような状態で、離陸滑走中に水噴射が故障すると離陸すらできずにオーバーラン事故を起こしていました。

 ほかにもベトナムでの消耗が多かった理由として、当時のパイロットが挙げていたのが、あまりにも制約の多い交戦規程でした。介入当初、北ベトナム(当時)を爆撃する目的は同国による南ベトナム(当時)内の共産勢力への支援を断念させることに限られていて、最も効果的な港湾施設や飛行場を爆撃することは厳しく制限されていたからです。

 こうしたこともあって、F-105は出撃しても戦果の割に多くの損害を被ることが多かったといえるでしょう。

【ノズルに裂け目!?】排気口に注目! F-105「サンダーチーフ」後ろ姿も(写真)

最新記事

コメント

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleのプライバシーポリシー利用規約が適用されます。