米空軍の“なんでも屋” F-105戦闘機のぶっ飛んだマルチぶり「戦闘機は1種でヨシ」の先駆けか?

超危険任務も挑んだ「なんでも機」

 その後、ソ連製地対空ミサイル(SAM)が北ベトナムに供与・配備されるようになると、アメリカ軍機はそれらへの攻撃も始めます。ところが、偵察機がSAMの場所を確認して爆撃しても、破壊したのは竹製の偽SAMであることが何度も起きるようになりました。

 そこで採られた方法が、SAMサイトの発するレーダー波を確認してから、そのレーダー波に向かって飛んで行くミサイルの起用です。これは、あえて敵SAMの射程内に飛んでいく無謀な任務でSEAD(Suppression of Enemy Air Defense:敵防空網制圧)と呼ばれ、果敢にSEAD任務を行う部隊は野生のイタチになぞらえて「ワイルドウィーゼル」と呼ばれるようになりました。

 これに用いられたのが、複座型のF-105F「サンダーチーフ」です。改造されたものは新たにF-105Gとしてベトナムに投入されました。

 G型は、後席の電子戦士官が電波妨害と敵レーダー波の分析を行うようになっており、加えて対レーダーミサイルを発射可能な装備を搭載しているのが特徴でした。こういった改造が行えたのは、ひとえにF-105「サンダーチーフ」が頑丈で、かつ兵装搭載量に優れていたからだといえるでしょう。

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1982年10月24日、エドワーズ空軍基地で展示されたF-105D戦闘機(細谷泰正撮影)。

 こうしてワイルドヴィーゼル仕様として生まれたF-105Gは、ベトナム戦争終結後にはアメリカ本土へ戻り、空軍予備役飛行隊や州兵航空隊に配備され1984年まで運用され続けています。

 F-105はベトナムでの損失数が多く戦闘機としての評価は必ずしも良いとはいえません。しかし、同様な任務で使用されたF-100「スーパーセイバー」に比べると、良好な操縦性とはるかに堅牢な機体構造を持っていました。そのため、メーカーのリパブリック社は「リパブリック鉄工所」とも呼ばれていました。

 万一の際には核攻撃任務にも就けるよう設計開発されていたF-105「サンダーチーフ」。幸いなことにその任務には就くことなく現役を終えています。しかし、豊富な搭載量を活かして様々な任務に用いられた結果、使い勝手の良さをアメリカ空軍に認めさせ、堅牢さと多用途性はF-15E「ストライクイーグル」などに受け継がれたといえるでしょう。

 ちなみに、アメリカ空軍のアクロバット飛行チーム「サンダーバーズ」も1964年に短期間ながら同機を使用していました。これも、また「なんでも屋」「万屋」と形容するにふさわしいF-105のエピソードのひとつといえるのかもしれません。

【了】

【ノズルに裂け目!?】排気口に注目! F-105「サンダーチーフ」後ろ姿も(写真)

Writer: 細谷泰正(航空評論家/元AOPA JAPAN理事)

航空評論家、各国の航空行政、航空機研究が専門。日本オーナーパイロット協会(AOPA-JAPAN)元理事

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