「とりあえず車体に大砲つけとけ!」→国を救う大活躍!? 「M3中戦車」が超有能だったワケ

アメリカ以外の国で大活躍!

 75mm砲を砲塔に収めたM4中戦車が完成するまでの“つなぎ”として開発されたM3中車両を初めて実戦に投入したのは、アメリカ軍ではなくイギリス軍でした。フランスでの戦い以降、欧州大陸を追い出されたイギリス軍は、兵器を現地に置いて慌てて撤退したため、戦車の数が不足していました。その最中に起きた北アフリカでの戦いで、参戦していなかったアメリカはイギリスへM3中戦車をレンドリースしました。

 同戦車は、そのいびつな形にも関わらず、イギリス戦車より優秀だという評価になります。その大きな理由のひとつが、陣地や歩兵攻撃用の強力なりゅう弾が撃てたことです。当時、イギリス軍の戦車は敵の装甲戦力を叩くことに主眼が置かれ、りゅう弾を撃てない車両もありました。

 その欠点を補いつつ、M3中戦車は75mm砲を搭載したため対戦車戦の火力も申し分ない状態でした。車体に無理やり取り付けた戦車砲で、射撃に難があったり、無駄に高い車高のお陰で敵に見つかりやすかったりといった欠点はありましたが、装甲は当時のドイツ戦車を上回っていました。

 また、砲の純粋な火力のみならば、対抗できるドイツ戦車はIV号戦車の長砲身タイプとして1942年3月から投入されたF2型やG型しかありませんでした。しかも数の上ではM3中戦車の方が圧倒的に多数で、イギリス軍では「グラント」の愛称を付けられ、ガザラの戦いやエル・アラメインの戦いなどに参加し「エジプト最後の希望」とも称えられることになります。

イギリス軍は太平洋方面にもこのM3中戦車を投入し、ビルマ方面の戦いで終戦まで使用され、対戦車戦に優れる戦車を持たない日本軍を苦しめることになります。

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進軍中のアメリカ軍のM3中戦車(画像:アメリカ議会図書館)。

 ほかにM3中戦車は、ソビエト連邦向けとしてもレンドリースされており、第二次ハリコフ攻防戦やクルスクの戦いに参加しました。アメリカ軍以外での運用が目立つ車両ですが、アメリカ軍に関しても、北アフリカ戦線の勝敗を決定づけるトーチ作戦やその後のチュニジアの戦いなどで使用されています。

 ちなみにアメリカではM3中戦車の愛称は「リー」でした。その足回りやエンジンなどは後継車両であるM4中戦車に引き継がれ、同戦車は合計5万両も生産されました。M3中戦車は、そのいびつな形に反し、後に続くアメリカの優れた戦車技術の礎になった車両ともいえます。

【了】

【画像】えっ…!これがキモかわいいM3中戦車「グラント」&「リー」です

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