JRの手を離れる在来線最長「北陸トンネル」3セクにどう影響? “長大トンネルの移管”すでに事例も
トンネルのあり方を変えた事件
北陸トンネルは悲しい過去も持っています。まず前兆は1969(昭和43)年12月6日、トンネルを走行中の寝台特急「日本海」の電源車から出火する事故でした。この際は出口付近だったためトンネルから脱出して対応にあたり、幸いけが人は出ませんでしたが、それから3年後の1972(昭和45)年11月6日未明、再び北陸トンネル内で出火事故が起きてしまいました。火元は走行中の急行「きたぐに」の食堂車でした。
近年の長大トンネルは建設に使われた「斜坑」を換気口や非常口へ転用していますが、1960年代に建設された北陸トンネルにはそれが無く、またすでに電化路線だったこともあり、火災を想定した避難設備や消火設備、換気設備がありませんでした。
加えて当時の国鉄の火災対応方針は「出口まで走り抜ける」と「停車して消火」を状況によって判断するという曖昧なもので、長大トンネルの特性を踏まえた方針が示されていませんでした。
こうした中、列車はトンネル内で停車し、乗務員が消火作業に取り掛かりましたが、火勢は強く、対処のしようがありません。照明のほとんど点いていないトンネルの中で、充満した煙にまかれた乗員乗客30人が亡くなる大惨事となったのです。
事故後、トンネル火災に備えた消火器の設置、照明の常時点灯化や無線の整備などが進められましたが、トンネル構造の大規模な変更は困難のため、放水、換気設備は設置されませんでした。建設時の斜坑は2か所あるものの、線路の保守作業等に用いられており、非常口としての機能は持っていません。
北陸新幹線の延長に反対です。理由は在来線の経営悪化を地方にぶつけただけ
特に北陸本線と呼ばれてた在来線特急で名古屋発のシラサギは敦賀止まり。これでは北陸自動車道の高速バスのほうが直通で金沢迄行けるし、時間も早く 運賃も半分以下だ。