「61式は世界一操縦が難しい」戦後初の国産戦車がつないだ技術のバトン 旧軍中戦車と同スペック 一緒な構造も
超壕能力や最高速度は旧軍戦車と一致
試作戦車の開発は、車体と砲塔を三菱重工、主砲を日本製鋼所が担当しました。どちらも前出のように戦前から兵器を開発・生産していたメーカーであり、四式中戦車で使われた技術が随所に用いられていました。
なお、1950年代の他国戦車ではトランスミッションとエンジンを1つにまとめて後方に配置するパワーパック式が主流になりつつあったため、日本の試作戦車もそうしたかったようですが、当時の技術力では開発困難でした。
結果、車体後部に置かれたエンジンから前方にプロペラシャフトが伸ばされ、車体前部に置いた変速・操向機(トランスミッション)を通して前部の起動輪を駆動する配置が採用されています。これは、太平洋戦争時に日本が運用・生産した九七式中戦車や一式中戦車、三式中戦車、四式中戦車などと同じ配置です。この構造だと車高が高くなり、整備性にも難がありましたが、やむを得ませんでした。
ちなみに変速・操向機は、試作当初こそトルク変換機付きの自動変速・操向機、いわゆるオートマチック変速機が搭載されていましたが、パワーロスが大きく、故障もしやすいとして開発は断念。次の試作車では四式中戦車に採用されたものと同じ、遊星減速歯車付きのクラッチ・ブレーキ式が採用されました。
この変速・操向機は四式中戦車の秘匿名称「チト」にちなんで「チト式」と呼ばれましたが、動力の伝達がスムーズに行かず故障しやすい問題をはらんでいました。そのため、アメリカ式の差動歯車を搭載した、二重差動式操向機が新たに開発され、これが採用されることとなりました。
エンジンは完全に新設計ですが、四式中戦車と合致する12気筒ディーゼルエンジンで、四式では計画だけだった過給機も搭載しており、560馬力を発揮できました。ちなみに四式中戦車のものは出力412馬力、過給機搭載で500馬力の予定だったといいます。
鋳造砲塔と鋼板溶接車体の組み合わせで、一部ボルト締めが残るところや、トーションバー方式の足回り、車体後方の排気ユニットの配置や形状などにも四式中戦車を始めとした旧軍戦車との共通点が見受けられます。
なお、61式戦車は超壕能力2.7m、最高速度45km/hですが、この性能数値は四式中戦車と全く同じで、そういった部分も共通点ということができるでしょう。
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