「61式は世界一操縦が難しい」戦後初の国産戦車がつないだ技術のバトン 旧軍中戦車と同スペック 一緒な構造も
61式戦車誕生で断絶免れた日本戦車のDNA
開発するさい参考にしたM36駆逐戦車には砲塔後部に張り出し部分があり、ここを即用弾の搭載スペースにすることで装填速度を向上させていましたが、61式戦車もこれを踏襲しています。なお、四式中戦車も装填速度を重視して、65発の内の30発を砲塔後部に収納していたので、ある意味ここも旧日本軍との共通点といえるかもしれません。
主砲の61式90mm戦車砲は砲身長が52口径あるため、アメリカのM46やM47戦車が搭載した50口径90mm砲M3よりも長砲身です。なお、薬室の強度も上回っていたため、威力の点でもM3より強いといわれています。
それでも、太平洋戦争終結から約10年が経過していたため、その間のブランクはいかんともしがたく新戦車の設計・試作は難航した模様です。それでも、関係者の努力によって、1960(昭和35)年12月には陸上自衛隊の新戦車として採用が決定。翌1961(昭和36)年4月には量産準備も整ったことにより、「61式戦車」として制式採用されました。
61式戦車は、部隊配備後も、現場の隊員から「ギアチェンジが難しく、世界一操縦が難しい」といわれたり、操縦席がエンジンの排熱で夏には70℃になったりと、問題がなかったわけではありません。
しかし、戦車技術で世界水準に引き離された旧日本陸軍とは異なり(旧日本軍最強といえる四式中戦車でも、ドイツやソ連の戦車には対抗困難)、曲がりなりにも同時期の他国戦車に対抗可能な国産戦車を作り上げたことは、大きな意義があったといえるでしょう。
74式戦車でなんとか世界に引き離されず、90式戦車で世界水準に並び、10式戦車では各種性能で世界を超えたと称される日本戦車ですが、その礎は61式戦車が作ったといっても過言ではありません。
ひょっとしたら敗戦によって断絶していたかもしれない我が国戦車開発の溝を、61式戦車が埋めたという意味で、同車が果たした意義は後の3戦車よりも大きいかもしれません。
【了】
Writer: 安藤昌季(乗りものライター)
ゲーム雑誌でゲームデザインをした経験を活かして、鉄道会社のキャラクター企画に携わるうちに、乗りものや歴史、ミリタリーの記事も書くようになった乗りものライター。著書『日本全国2万3997.8キロ イラストルポ乗り歩き』など、イラスト多めで、一般人にもわかりやすい乗りもの本が持ち味。
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