撃ち合いの末、2隻目の沈没戦艦となった「霧島」 戦間期にはお召艦の栄誉にも
旧日本海軍の戦艦「霧島」が1913年の今日、進水しました。ただ、竣工して16年間は「巡洋戦艦」でした。その証拠が艦名。近代化改修を2回受け、速力・防御力を向上させ太平洋戦争を迎えます。
2回の近代化改修を実施
戦艦だが山岳名――旧日本海軍の戦艦「霧島」の進水から、2023年12月1日で110年になります。正確には巡洋戦艦として起工、竣工しているので、艦名は当時の軍艦命名規則に従い、鹿児島県の霧島山にちなんだのです。
「霧島」は同型艦の「榛名」とともに、初めて国内の民間造船所で建造された戦艦です。現在の三菱重工が担当しました。竣工時の排水量は2万7000トンあまり、水線長は212m、速力は27.5ノットあまり(約49.5km/h)。複雑な形をした艦橋はまだなく、3本の煙突と2本のマストが立ち並んでいました。
なお竣工時は第1次世界大戦の真っただ中。デンマークのユトランド半島沖でイギリス海軍とドイツ海軍が死闘を繰り広げた、いわゆるユトランド沖海戦によって近代的な艦隊戦の戦訓が得られると、日本もその後の軍艦建造にその戦訓を反映させます。「霧島」も例外ではなく、大規模な近代化改修が2回施されました。
1回目の改修は1930(昭和5)年3月に実施。主に防御力が強化されました。その後は観艦式に参加し、「霧島」は昭和天皇が乗艦される御召艦となっています。翌年6月、正式に「戦艦」となりました。
2回目の改修は1936(昭和11)年。主に機関が強化され、出力向上に伴い速力は約30ノット(約54.0km/h)となりました。また対空兵装も強化されています。
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