素人のセスナ機「赤の広場に無断で着陸」! スカスカ防空網と揶揄されたソ連空軍最悪の失態とは
防空網の不備も味方した事件!
実は当時のソ連空軍の防空網は、いくつかの地区に分割されたばかりで地区の境界では、混乱が生じていました。レニングラード軍管区に入った同機は、低速で飛行していたため、近くで捜索活動を行っている救助ヘリコプターの1機だと勘違いされてしまい、あろうことかIFF (敵味方識別装置)で“味方”と判断されてしまうのです。
また、着陸直前のモスクワ軍管区でも、同機は規則に反した飛行をする国内の訓練機とみなされ、脅威度は低い扱いとなっていました。同機が、フィンランドからエストニアに侵入した不審機であり、対空ミサイルシステムや迎撃機が何度か捕捉した事実については、軍管区ごとの情報伝達が不十分なため、報告されていませんでした。
セスナ機はモスクワの中心部、赤の広場の脇にある橋のたもとに着陸すると、そのまま赤の広場、玉ねぎ型の屋根が印象的な聖ワシリイ大聖堂の前まで移動して停止しました。降り立ったルストは、駆け付けた警官により逮捕されます。
ソ連の新聞はこの事件を受けて「西ドイツのアマチュアパイロットに着陸され、ソ連軍の赤っ恥!」と報じ、赤の広場には、「シェレメーチエヴォ第3空港」という自虐的なあだ名までつくことになりました。
また、事件の責任を追及され、国防相や防空軍総司令官など約300人の軍関係者が解任されたといいます。これほど大規模な解任や人事異動は、50年前に起きたスターリンの大粛清以来でした。
そのため、実はこの事件と直後の軍指導部の解任劇に関しては、当時ソ連の改革を進めていたゴルバチョフ書記長の仕組んだ陰謀だったという説もあります。
ゴルバチョフ書記長の進める改革に反対する軍関係者を一気に指導部から遠ざけるために、わざと西側の飛行機を着陸させたというのです。また、この事件により、ソ連そのものに対する信頼も大きく揺らぎ、ソ連の崩壊、冷戦の終結につながっていったという見方も出ています。
ルストがなぜこのような事件を起こしたかについては、詳細は不明なままであるものの、本人は「東西対立を解消し、平和をもたらすため」と答えており、明確な意思を持って行ったことであるようです。
ちなみにこの時使用されたセスナ機は、事件後、一時期日本で展示されていましたが、現在はベルリンにあるドイツ技術博物館に展示されています。
【了】
Writer: 凪破真名(歴史ライター・編集)
なぎはまな。歴史は古代から近現代まで広く深く。2019年現在はフリー編集者として、某雑誌の軍事部門で編集・ライティングの日々。趣味は自衛隊の基地・駐屯地めぐりとアナログゲーム。
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