現存唯一!? 激レア「2シーター零戦」ついに再公開 正式ではない “現地改造型” 一体どう誕生したのか

日本で続いた修復 その後新たな発見も

「ユメノバ」で展示が始まった複座改造の零戦は、戦時中にラバウル北西のニューブリテン島ランパート岬から約250m沖合の水深8m地点に墜落した機体で、1972(昭和47)年に裏返しの状態で発見されて海中から引き揚げられました。ちなみに、垂直尾翼の番号「53-122」から、ラバウルに残留した航空部隊「二五三空」の所属であったことが確認されています。

 こうして再び陽の目を見るようになった複座の零戦二一型は、オーストラリアでの復元作業を経て日本へ里帰りを果たしたあとも数回の修復が続けられ、いまのような姿になっています。長いあいだ海に沈んでいた結果、失われた補助翼の羽布は再び張られ、塗装についても三菱製とは異なる、中島飛行機製ならではのものが施されています。

 このとき、機体に何か所か残る機銃痕をジュラルミン(アルミ合金)のパッチで補修した跡や、現地で不足していた沈頭鋲(ちんとうびょう)の代わりに通常のリベットを裏から打って表側の頭を潰すなどといった工夫も確認できました。

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筆者の見学当日に同行して、ラバウルで発見された零戦の実物外板を手にしながら展示機の解説を行って頂いた、航空機研究家の中村泰三氏(吉川和篤撮影)。

 同機は、2020(令和2)年7月まで産業遺産および航空遺産として上野の科博本館で展示されていましたが、機体の再修復を機に、新たに科博分館として開設される「科博廣澤航空博物館」への移転が決まります。そして当初の開館予定より2年ほど遅れましたが、ようやく4年ぶりの公開となりました。

 なお、上野時代はエンジンが見えるようカウリング(カバー)が外されていましたが、ここではそれが付いた状態での展示に改められており、往時の姿を目の当たりにできるようになりました。また機体の前には、復元された計器盤も展示されています。

 この施設では、さまざまな乗りものと共に「夢の場」で翼を休める零戦を間近に見ることができます。すぐ隣にはYS-11旅客機も展示されているため、戦前と戦後の両方を代表する国産機を見比べることも可能です。

 前述したように、事実上の現存唯一といえる激レア機です。少し東京からは離れていますが、一見の価値ある国産戦闘機を訪ねて足を運んでみてはいかがでしょうか。

【了】

【こりゃ激レア写真だ!】修復作業時に撮った「科博零戦」の胴体内部&コックピット画像です

Writer: 吉川和篤(軍事ライター/イラストレーター)

1964年、香川県生まれ。イタリアやドイツ、日本の兵器や戦史研究を行い、軍事雑誌や模型雑誌で連載を行う。イラストも描き、自著の表紙や挿絵も製作。著書に「九七式中戦車写真集~チハから新砲塔チハまで~」「第二次大戦のイタリア軍装写真集 」など。

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