日本の鉄道「運転は一流、ただ…」外国人記者ズバリ指摘 インバウンド対応100年の試行錯誤 いつの時代も“国主導”

外国人観光客の受け入れは今でこそ活況を帯びていますが、その歴史は戦前まで遡ります。当時の「外客」誘致と鉄道の関係は、どのようなものだったのでしょうか。先人の模索と工夫をたどります。

外国人対応は「武士道の真髄」

 日本の味方を増やしたいと考えた木下は、「百聞は一見にしかず」と多くの外国人に日本を実際に見てもらい、日本の友人を作ってもらうことが重要だと考えました。帰国した木下は鉄道院幹部に「国際親善と富国増進の最良作」として外客誘致の必要性を説いて回り、時の内閣総理大臣・原敬の支援を受けて専門機関の設立にこぎ着けました。

 彼はまずポスターに注目しました。それまでも浮世絵風のものはありましたが、三越宣伝部の杉浦非水を抜擢し、奈良の五重塔と鹿の洋風ポスターを描かせました。続いて英・仏・露・中国語のパンフレット「An Official Guide to Eastern Asia(東亜案内)」を制作。これは改訂を重ねて戦後しばらくまで使われ続けたそうです。

 受け入れ態勢の整備も進めました。1914(大正3)年に開業した東京駅に「東京ステーション・ホテル」を開業。また、木下はアメリカでナショナル・パークを視察した経験から、富士山麓や日光、十和田湖などを国立公園にして、道路、ホテル、公園などを整備して外客誘致に活用したいと考えました。国立公園法の施行は木下の没後、1931(昭和6)年のことですが、彼の先見の明を示すエピソードといえるでしょう。

 鉄道では1912(明治45)年6月のダイヤ改正で、東京~下関間に「特別急行列車」を設定し、これを釜山から朝鮮鉄道、南満州鉄道、シベリア鉄道経由でモスクワに至る国際連絡列車としました。

 また、彼の発案で1908(明治41)年に設立された「英語練習所」では、選抜された現業員に対し、英米人教師が2年にわたって実用的な英会話をたたき込みました。彼らは特別急行列車の列車長に配置され、外国人対応に活躍しました。

 木下は現業員に「海外万里の地より遥々来遊して、言語に通ぜぬ地理を解せず、旅行上最も劣弱の地位に在る外人に対し、鉄道従事員等の之を厚遇するは、所謂人道の翻意を尽くすのであるのみならず弱者を助けるは、実に我が国古来武士道の真髄」であるとして、外客対応の重要性を説きました。

 さらに木下は「国際連盟に加入して永久平和を企図すると供に我が国民が等しく隣邦諸国民を了解し、又彼等国民をして真に我が国を了解せしむる」ことが重要と記していますが、明治から昭和初期の「国際化」は、朝鮮半島や満洲の植民地支配、中国権益の獲得といった政治的な側面と切り離せないこともまた事実です。

【増発!】インバウンド需要に応じて本数が増えたJR特急

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