“残念な”世界最大の空母「信濃」 もし戦艦のまま完成していたらどう変わった?

未完成のまま出港… あえなく撃沈された

 空母化決定は1942(昭和17)年6月のこと。議論の末、基礎設計が終わったのは同年9月でした。つまり「信濃」は、1941年12月の太平洋戦争開戦後も、戦艦としての建造中止からの10か月間、ペースを落として建造されていたことになります。この間、第6船渠で雲龍型空母2隻を同時建造するという理由で、「信濃」は解体も検討されましたが、ようやく空母としての工事が始まったのです。完成時期は1945(昭和20)年2月とされました。

 しかし、工事開始後も横須賀工廠の人手不足により、「信濃」は3か月間放置されます。それにも関わらず、1944(昭和19)年6月のマリアナ沖海戦で日本の空母戦力が大打撃を受けたのを踏まえ、完成時期が4か月前倒しされ1944年10月に。超突貫工事で進水にこぎつけた「信濃」でしたが、ドック内での事故もあり、同年11月に未完成のまま横須賀港を出港します。

 艦内で工事が続き、機関部も未完成ゆえに最高速度27ノット(50km/h)も発揮できない「信濃」は、水防扉が開かれている状態でアメリカ潜水艦の魚雷を受け、出港翌日に撃沈されたのでした。

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空母「信濃」を建造した横須賀の第六号船渠(画像:アメリカ海軍)。

 こうした理由から実戦で真価を発揮しなかった「信濃」。完成していたら、同艦が戦局に寄与した可能性はあったでしょうか。前述の通り、建造中に合計17か月も工事が遅延・停滞していたのですから、その辺りを何とかできれば、完成時期を早められそうとも思えます。

 また「信濃」建造開始の1940年5月は、横須賀海軍工廠第6船渠が完成した月です。第6船渠が史実より早く完成すれば(新井堀運河を仕切る早期完成案が存在)、「信濃」建造が早められたとも考えられます。

【歴史のif】戦艦「信濃」が実現していたら…(想像)

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