“残念な”世界最大の空母「信濃」 もし戦艦のまま完成していたらどう変わった?

レイテで戦艦「武蔵」が助かったか?

 もし1年前倒しで、「信濃」の建造訓令が出た1939(昭和14)年に建造が始まっていたら、開戦時には進水済みとなります。この場合、戦艦として建造を続けていれば、1943(昭和18)年3月ごろの就役となります。日本はアメリカが戦艦を大量建造していることを把握していたので、対抗するうえでも、最後まで戦艦で建造された可能性も考えられます。

 ただ戦艦とする場合は、大和型の主砲塔を運搬できる給兵艦「樫野」が1942年9月に撃沈されているため、主砲塔搭載のため呉に回航する必要があったでしょう。

 晴れて完成した戦艦「信濃」は、マリアナ沖海戦で艦隊前衛を務め、なお稼働できる状態ならレイテ沖海戦では大和型戦艦が3隻になるので、攻撃が分散し、もしかしたら「武蔵」は助かったかもしれません。大打撃を回避できた日本の戦艦部隊が、サンベルナルジノ海峡を封鎖したアメリカの戦艦部隊と夜戦を交わした可能性もあります。

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レイテ沖海戦(シブヤン海海戦)でアメリカ軍機の猛攻を受ける戦艦「武蔵」。魚雷や爆誕が20発以上命中し、撃沈された(画像:アメリカ海軍)。

 一方、ドック完成時期を史実通りとしても、三重底への変更中止、日米開戦に備えあらかじめの空母化設計がなされたうえで、111号艦(大和型戦艦4番艦)を破棄し資材を110号艦(信濃)に集中させていれば、早期に空母として完成していたでしょう。

 この場合は空母「大鳳」と同じ、1944年3月には就役していたでしょうから、広大な飛行甲板で航空機の離発着がしやすい「信濃」はマリアナ沖海戦に投入され、大和型戦艦2隻と共に、艦隊前衛で奮戦しそうです。海戦の結果はほぼ変わらないと思いますが、続くレイテ沖海戦ではその重防御により、囮艦隊旗艦として、より多くの米軍機を引き受けていたかもしれません。

【了】

【歴史のif】戦艦「信濃」が実現していたら…(想像)

Writer: 安藤昌季(乗りものライター)

ゲーム雑誌でゲームデザインをした経験を活かして、鉄道会社のキャラクター企画に携わるうちに、乗りものや歴史、ミリタリーの記事も書くようになった乗りものライター。著書『日本全国2万3997.8キロ イラストルポ乗り歩き』など、イラスト多めで、一般人にもわかりやすい乗りもの本が持ち味。

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