戦艦「高松」…そんな戦艦あったっけ? アメリカが“誤認”した旧日本海軍の艦艇 どこまで正確だった?

戦争とは情報戦でもあります。公的資料に書かれている「敵国の軍備」も正確なものとは限りません。中には存在しないものを「存在している」としたものも。太平洋戦争を例に、「実際には存在しない軍艦たち」について解説します。

水上機母艦「日進」は実在したが…

 戦争を進めるうえで必要とされるのは、正確な情報を得ることです。逆に、間違えた情報を敵国に認識させることは、戦場での戦果以上に大きな戦果とされることもあります。日露戦争でロシアに対する情報戦に従事した、旧日本陸軍の明石元二郎大佐による工作を知ったドイツのヴィルヘルム2世は、「明石1人で大山満州軍20万に匹敵する戦果をあげた」と評価したほどです。

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旧日本海軍の空母「隼鷹」。「じゅんよう」と読むが、アメリカ軍には「はやたか」と認識されていた(画像:アメリカ海軍)。

 情報収集に長年力を入れ、太平洋戦争の大半で旧日本軍に対する暗号解読に成功していたアメリカ軍でさえ、情報の錯誤は起こっています。ここでは、アメリカが実在すると思っていた旧日本海軍の軍艦を例に取り上げていきましょう。

 例えば大和型戦艦について。1941(昭和16)年の『ジェーン年鑑』では、日本の新型戦艦の予定艦名を「日進」「高松」「紀伊」「尾張」「土佐」としています。

「日進」とは「日進月歩」から来た艦名であり、水上機母艦としては実在していますが、戦艦ではありません。「高松」は平安前期の『和名抄』における「高松郷」が初見であり、語源は「海の近くに高い松の林があること」。旧日本海軍は戦艦の命名を旧国名由来、巡洋戦艦の命名を山岳名由来としていたため、『ジェーン年鑑』は不正確です。日米開戦後も、アメリカ軍では日本軍新鋭戦艦の情報が得られていないため、しばらくは『ジェーン年鑑』の記述を元に艦名が「日進」「高松」とされていました。

 なお、旧日本海軍がドイツ海軍のポケット戦艦に類似した装甲艦を建造するということも信じられており、「日進」を秩父型装甲艦と混乱している可能性も考えられました。旧日本海軍が戦艦「日進」を建造した事実も、秩父型装甲艦を建造した事実もありませんので、この項目については全く不正確な情報を把握していたことになります。

 一方の大和型については、1942(昭和17)年の暗号解読により、正しい艦名が認識されていくことになります。

【存在しない戦艦「高松」】同型艦とされたのは…?(写真)

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