大型爆撃機を空母から「片道出撃」もう戻ってこれない 米海軍が採った驚きの方法 どうにか積みたかった巨大爆弾とは?
最新の対潜哨戒機を爆撃機へ転用
戦争末期の1945年初頭にアメリカは、原子爆弾の実用化に成功。「リトルボーイ」を広島で用いたのち、2発目「ファットマン」を長崎に投下しました。なお、この「ファットマン」は、原子爆弾としては初めての量産型で、Mark IIIの型式名で終戦後の1949年までに120発が造られています。
ただ、当時はまだ原爆を小型・軽量化する技術が未発達だったため、Mark IIIは約4.6tもの重量がありました。ここまで重いと、小型の軍用機に搭載することができません。
アメリカ空軍が運用するB-36「ピースメーカー」やB-50「スーパーフォートレス」といった大型爆撃機ならば問題なく運用できましたが、当時のアメリカ海軍の空母搭載機、いわゆる艦上機で、Mark III原爆の運用が可能な機体はありませんでした。
そのようななか、アメリカ海軍としては、どうにか艦上機で原爆を運用できないか探っていました。その結果、ひらめいたのが前出のB-25「ミッチェル」と同様、空母からの片道出撃による核爆弾の運用法だったのです。
そのために白羽の矢が立てられたのが、双発エンジンのP2V「ネプチューン」でした。同機は、太平洋戦争中に対潜哨戒専用の機体として開発が始まった海軍機で、実用化と実戦配備は戦後となりました。アメリカ海軍は、当時最新鋭だった同機を流用することとし、その艦上運用型P2V-3Cを開発します。
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