大型爆撃機を空母から「片道出撃」もう戻ってこれない 米海軍が採った驚きの方法 どうにか積みたかった巨大爆弾とは?
開発当初の核爆弾はとても大きく、当時の空母艦載機には搭載できない兵器でした。しかし、なんとかして運用したかったアメリカ海軍は驚くべき方法で核爆撃機を空母に搭載します。その機体は発艦できても着艦は無理なシロモノでした。
太平洋戦争中に行った日本本土初空襲がヒントか?
世界がアメリカを中心とする資本主義陣営と、ソ連(現ロシア)を中心とする社会主義陣営に分かれて対峙していた東西冷戦の初期、原子爆弾を搭載した大型爆撃機が空母から「片道出撃」するという運用方法が、アメリカで実施されていたことがあります。
これは、空母から飛び立って目標を攻撃したのち、その空母には戻らず、到達可能な味方の陸上基地(飛行場)へと降り立つというもの。当時の空母や航空機の性能的な限界から採られた、いうなれば「苦肉の策」です。しかし、なぜアメリカはこのような運用方法をわざわざ考えたのでしょうか。
そもそも、アメリカが空母からの「片道出撃」を実行したのは、太平洋戦争中にさかのぼります。
日本海軍によるハワイ真珠湾攻撃で始まった太平洋戦争において、開戦5か月後の1942年4月18日、アメリカは海軍の空母「ホーネット」から陸軍航空隊のB-25「ミッチェル」陸上爆撃機を発艦させて、日本本土に対する初空襲を成功させました。
ただ、このとき用いたB-25は、大型ゆえに空母へは着艦できるシロモノでなかったため、「ホーネット」に戻るのではなく、そのままユーラシア大陸へと飛び抜けて、中国内陸部にあった飛行場へと着陸しています。
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