大型爆撃機を空母から「片道出撃」もう戻ってこれない 米海軍が採った驚きの方法 どうにか積みたかった巨大爆弾とは?
艦上機の急速な発達により少数生産で終了へ
P2V-3Cの特徴は、「JATO」と呼ばれるジェット補助推進装置を胴体側面に装着できる点で、これを利用すれば、大重量の原子爆弾を搭載しても、当時のアメリカ海軍における最大の空母であるミッドウェイ級から発艦することができました。
なお、目標へ原爆を投下した後は、味方の陸上基地へと帰還するか、もしくは空母艦隊が遊弋する海域まで戻って不時着水することが想定されていました。
ちなみに、搭載する原爆についてもP2V-3Cで運用するために旧式のMark Iを再生産しました。このMark Iは広島に投下された「リトルボーイ」と同じ構造のもので、Mark IIIと比べると安全性の面で劣っていました。
ゆえに、広島に投下された1発しか造られなかったのですが、P2V-3CにはMark IIIが搭載できなかったため、苦肉の策としてMark Iが再生産されたのです。とはいえ結局、Mark Iの量産もわずか5発で終わっています。
また、空母で運用可能なように開発されたP2V-3Cも、のちに核爆弾の搭載が可能な双発の艦上爆撃機AJ「サヴェージ」が登場したため、わずかに12機が原型のP2V「ネプチューン」から改修という形で造られただけで終わり、その運用もごく短期間で終了しています。
東西冷戦の本格化という切迫した状況下に発案された「片道出撃」の原爆攻撃機。「時代のあだ花」といってしまえばそれまでですが、かつての日本本土への初空襲と同じく、敵に対する優位性を確保するための、なりふりかまわぬ戦法だったといえるのかもしれません。
【了】
Writer: 白石 光(戦史研究家)
東京・御茶ノ水生まれ。陸・海・空すべての兵器や戦史を研究しており『PANZER』、『世界の艦船』、『ミリタリークラシックス』、『歴史群像』など軍事雑誌各誌の定期連載を持つほか著書多数。また各種軍事関連映画の公式プログラムへの執筆も数多く手掛ける。『第二次世界大戦映画DVDコレクション』総監修者。かつて観賞魚雑誌編集長や観賞魚専門学院校長も務め、その方面の著書も多数。
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