日本人を「電車大好き」にさせた張本人!? 「湘南電車」何が画期的だったのか 緑&橙ツートンの元祖
1950年に登場した国鉄80系電車は、「湘南色」や「湘南形」、そして「湘南電車」という言葉を生み出したパイオニア的存在です。どのような経緯で生まれ、どの部分が斬新だったのでしょうか。
東海道本線の輸送力アップを目指して
2024年現在、日本の鉄道には観光列車を除き客車を用いた定期普通列車がないため、鉄道にあまり関心のない一般の人からすると、たとえ気動車(ディーゼルカー)であっても「電車」と呼んでしまうほど、我が国では電気駆動の鉄道車両が広く普及しています。
徳島県以外の46都道府県で電車が走る、まさに「電車王国」である日本ですが、もちろん最初からそうであったわけではなく、客車列車から電車へと転換するきっかけがありました。それが、1950(昭和25)年に登場した国鉄80系電車です。
電車は機関車が牽引する客車列車とは違い、機関車をつけ換える、いわゆる「機回し作業」が必要ありません。これにより、折り返しの時間が短くなると同時に、加減速の性能も優れているので、高頻度の運転が可能です。しかし変電所などの送電設備に大きな投資が必要なので、太平洋戦争以前は市内交通(路面電車)や、都市とその近郊を結ぶ比較的短距離の路線でしか見られませんでした。
国有鉄道では利用者の集中する大都市近郊区間において、中・長距離列車の走る「列車線」とは別に近郊区間を走る電車専用の「電車線」を設け、電車の運転本数を増やして対応する場合がありました。代表的な例が、1914(大正3)年より東海道本線の東京側で運転の始まった京浜線(現在の京浜東北線)です。
戦前から一極集中化が進んでいた東京ですが、戦争が終わる頃には京浜線電車の終点である横浜より先(南)の区間でも利用者が増え、列車はしばしば満員の状況となっていました。そこで国鉄は東海道本線のうち、電化されていた東京~沼津の区間に電車を高頻度で走らせ、輸送力を確保しようと考えます。
この考えのもと、1950(昭和25)年に登場したのが80系電車でした。
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