「ほら撃ってこい」と挑発する仕事!? 米空軍の“最も命知らず”な戦闘機部隊とは? そんな任務「冗談じゃねえ!」が合言葉
誕生のきっかけはベトナム戦争
ワイルドウィーゼルのSEADという任務が誕生したのは1965年、ベトナム戦争のころのことです。当時、ソ連が北ベトナムに供与した地対空ミサイルに頭を悩ませていたアメリカ空軍は、複座のF-100F「スーパーセイバー」に志願した搭乗員を乗せて北ベトナム軍の地対空ミサイルを攻撃する作戦を敢行しました。これがワイルドウィーゼルのはじまりです。
彼らは、攻撃部隊の本隊に先行して目標地域にあるレーダー誘導地対空ミサイルを発見し、レーダーを先に照射させ、ミサイルの誘導を阻害するフレアやチャフをおとりとして撒きながら注意をそらさせるか、もしくはそれらを破壊して、後続する攻撃部隊本隊を守ることを目的としました。
最初はF-100Fが使用され、その後F-105F、F-105Gがワイルドウィーゼル機として使用されました。これらの機体は、当時の空戦で制空戦闘をするのには、力不足になりつつありましたが、地対空ミサイルが相手ならば、優れた地上目標攻撃能力を発揮しました。
しかし、戦いが長期化するにつれ、F-100、F-105ともに消耗したため、新しい機体が求められるようになります。
そこで登場したのがF-4C、F-4Gです。ベトナム戦争時代に最新の戦闘機であったF-4に高い対地攻撃能力、敵レーダー攻撃兵器を搭載したワイルドウィーゼル仕様のファントムIIは、ベトナム戦争以降も運用され、湾岸戦争では、対レーダーミサイルAGM-88を装備し、高い探知能力を活かして対空ミサイル網の破壊に貢献。地上攻撃を行う多国籍軍機の地上攻撃をサポートしました。
同機は結局1996年まで第一線で活躍して退役。その後はF-16がワイルドウィーゼル機として運用されています。
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