日本初のジェット機「橘花」“ほぼオリジナル”って本当!? ドイツ戦闘機とは似て非なるもの 独創的な点も

残った別エンジンの資料で「橘花」のエンジンに!

 しかし、残った資料の中に同エンジンより小型の「BMW 003」の全体図と写真が残されていたため、こちらを参考に中島飛行機の技師たちは国産ジェットエンジンである「ネ20」を開発。「ユモ 004」より小型のエンジンを積むということで、機体はMe262をサイズダウンし、ひとまわり小さくしたような形状になりました。

 また、主翼もMe262のように後退翼ではなく、当時のレシプロ(ピストン)エンジン搭載機では主流のひとつだった、機体から直線的に主翼が伸びるテーパー翼としました。主翼の形状を変更したのは当時の日本の工業力の限界を考慮してのものだったとも言われています。
 
 実は、戦闘機用ジェットエンジンの開発は、ドイツから資料が到着する以前の1944年8月から開始されていました。ただ、やはり独自開発は難航、そのようななかBMW 003の資料が日本に届いたことにより開発はようやく軌道に乗り始めたのです。こうして、1945年6月に「ネ20」が完成。すでに完成していた1号機に搭載し、同年7月に地上滑走試験を実施し、8月7日に約11分間の飛行試験を行うまでに至りました。

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アメリカ軍に接収された橘花(画像:パブリックドメイン)。

 最初の飛行は無事成功し、技術者たちはひとまず安堵します。しかしその後、12日に行われた飛行試験で、離陸に失敗しオーバーラン。機体を修理している間に戦争は終わりました。

 なお、「橘花」の機体は2024年現在、アメリカ国内に複数残されているほか、エンジンについては1基が日本へと里帰りし、IHIにて保管されています。

【了】

【国産第1号…】これが、橘花に搭載されたエンジンです(写真)

Writer: 斎藤雅道(ライター/編集者)

ミリタリー、芸能、グルメ、自動車、歴史、映画、テレビ、健康ネタなどなど、女性向けコスメ以外は基本やるなんでも屋ライター。一応、得意分野はホビー、アニメ、ゲームなどのサブカルネタ。

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コメント

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1件のコメント

  1. 主翼の形状が直線なのは機体とエンジンのサイズ関係から重心を後ろにする必要がなかったからでは